縁起の筋、預金の証

──平成0x29A年02月02日 12:10

僕は第五宗教施設ブロック、通称「神社庁務所」の雑務担当だ。名前は柴田明彦、二十八歳。今日は二月二日、節分の前日。

朝から祈祷受付の端末が落ちている。スマートグラスを外して、紙の申込書を引っ張り出した。祈祷料の授受は通帳記帳が必要だと、妙に古い規則が残っている。ブロックチェーン決済が主流の時代に、だ。

「明彦、そんなもん使うんか」

父さんのエージェントが呆れ声を出す。柴田一郎、享年五十四、心筋梗塞。生前は町工場の親方で、デジタルには懐疑的だった。

「規則なんで」

僕は淡々と答えて、受付カウンターの奥から黒い通帳を取り出す。表紙には金文字で「第五宗教施設ブロック祈祷管理口座」と印字されている。中を開くと、手書きの日付と金額がびっしり並んでいた。

参拝者が一人、カウンターに近づいてくる。五十代くらいの女性だ。

「あの、家内安全の祈祷を……」

「はい、承知しました。こちらにお名前とご住所を」

僕は紙の申込書を差し出す。女性は少し戸惑いながらも、ボールペンで記入し始めた。スマートグラスをかけ直すと、視界の端にセンサーダストの濃度警告が点滅している。境内の空気質モニタリングシステムだ。無視する。

「祈祷料は五千円になります」

女性が財布から紙幣を取り出す。僕はそれを受け取り、通帳に手書きで記帳する。日付、金額、摘要欄に「家内安全祈祷」。

「明彦、そんな面倒なことせんでも」

父さんのエージェントがまた口を出す。

「これが正式なんです」

僕は小さく答える。実際、三年前の党ドクトリン更新で、「信仰施設における金銭授受は物理記録を併用すべし」という一文が追加された。理由は不明だが、署名アルゴリズムがそう判断したらしい。

女性が帰ると、社務所にポケベルの着信音が鳴り響いた。ポケベル、と言っても実際は内線通知システムだが、音だけは当時のものを再現している。画面を見ると「本殿清掃完了 14106」の数字が並んでいた。

「懐かしいのう、その音」

父さんが言う。

「懐かしいって、父さんの時代にもポケベルなんてもうなかったでしょ」

「いや、あったぞ。工場で使っとった。緊急呼び出し用にな」

僕は少し驚く。平成エミュレーションが混線しているのは知っていたが、父さんの記憶の中にも、そのズレが入り込んでいるのかもしれない。

昼前、祈祷の準備をしていると、また端末が落ちた。今度は完全に起動しない。スマートグラスの表示も乱れている。センサーダストの濃度が上がりすぎたせいか。

「しゃあない、全部手作業や」

父さんが言う。

「そうですね」

僕は通帳と紙の台帳を並べ、午後の祈祷予約を手書きで確認し始めた。デジタルに頼らない手続きが、妙に落ち着く。

ふと、カウンターの隅に置かれた小さな神棚に目がいく。榊の葉が少し枯れかけている。交換しなければ。

「明彦」

「なんですか」

「お前、この仕事、嫌いか?」

父さんの問いに、僕は少し考える。

「嫌いじゃないです。……むしろ、好きかもしれない」

そう答えると、父さんは何も言わなかった。ただ、少しだけ笑ったような気がした。

通帳の次のページをめくる。まだ白紙の行が並んでいる。今日も、誰かの祈りが、この紙に刻まれていく。