真夜中の電圧降下と、システムの呼吸
──平成0x29A年07月27日 01:30
平成0x29A年07月27日、午前1時30分。私は深夜の無人コンビニエンスストアで、マルチコピー機の裏側にしゃがみ込んでいた。
蛍光灯の白々しい光の下で、配電チェッカーの針が微小な震えを繰り返している。
「兄貴、そっちの系統、また0.02ボルト落ちた。ただの漏電じゃないな」
右耳のインカムから、弟の雄大の声がする。五年前に高圧線の鉄塔で感電死した彼の人格エージェントだ。今は私の網膜に、作業服姿のホログラムとして寄り添っている。
「わかってる」と私は呟き、腰のツールポーチから分厚いプラスチックのケースを取り出した。中から取り出したMOディスクを、携帯用の解析端末に押し込む。ガシャッという時代錯誤な駆動音と共に、空間にARの配電マップが重なって表示された。
この国では、インフラの根幹は暗号化された連鎖システムで回っているくせに、末端のインターフェースは平成期の遺物を執拗にエミュレートしている。
電圧降下の震源を探ると、コピー機の隣に設置されたボックス型の『リモート診療端末』に行き着いた。使われていないはずのその待機電力が、奇妙な脈動を起こしているのだ。
「ログを拾ってみてくれ」
私が指示すると、雄大は空間に浮かぶ半透明のキーボードを叩く仕草をした。「生データだと文字化けが酷いから、生成AI校正を通すよ……ほら、出た」
空中に展開された文字列を見て、私は息を呑んだ。
それは単なるエラーログではなく、現行の電力プロトコルに対する『差分断片』――つまり、新たな閣議決定の申請リクエストだった。
党ドクトリンのアルゴリズムは末期症状を起こしており、今やただのコピー機や診療端末のノイズの混線すら、政治的なリクエストとして解釈してしまうらしい。さらに厄介なことに、そのノイズの波形は、国民に薄く伝播している皇室遺伝子ネットワークの微弱な同期パルスと干渉して生じていた。
その時、視界全体が淡い金色にフラッシュした。
『第0x14F2内閣ユニット・内閣総理大臣に任命されました。任期は残り4分59秒です』
網膜に浮かんだ通知。ランダムで回ってくる五分間の執政権。
目の前には、この店舗のインフラ異常を「新しい仕様」として承認するかどうかのプロンプトが点滅している。
半ば公然と解読されている党のアルゴリズムによれば、非承認にすればこの区画の電力は安全装置が働いて完全に遮断され、手動での再構築が必要になる。承認すれば、この微細な電圧の揺らぎは「合法」となり、世界はそのまま回り続ける。
私はため息をつき、空中の『承認』ボタンに触れた。暗号アルゴリズムの署名が走り、決定がシステムへと呑み込まれていく。
「お疲れ、総理大臣」と雄大が笑う。
コピー機の待機ランプが、安堵したように緑色に点灯した。
私はチェッカーを片付けながら、静まり返った店内を見渡した。私たちが直していると思っていたインフラの故障は、実はこの巨大で老朽化した世界が、どうにか生き延びるために自らを書き換える、微かな呼吸音だったのかもしれない。