銀色のノイズ、捲られない暦
──平成0x29A年04月12日 05:30
午前五時半。第4娯楽ブロックの地下、メダル洗浄機が重低音を響かせている。
私は作業着のポケットから端末を取り出し、筐体の側面に貼られた近傍通信タグにかざした。iモード風の粗いドット画面に「CHECK OK」の文字が浮かび、AR広告のバナーが視界の隅でチカチカと点滅する。
『達也、三番レーンの釘、ちょっと渋いんじゃねえか? 明日は新装開店だぞ』
脳内でしゃがれた声が響く。叔父の茂だ。死んで十年になるが、私の視覚野には今も彼が愛用していたタバコの紫煙がうっすらと合成されている。
「叔父さん、新装開店は三十年前の話だって。今はただの定期メンテ」
『何言ってんだ、チラシも打っただろ。四月十二日は大開放だ』
私は溜息をつき、床に落ちていたゲームセンターのメダルを拾い上げた。ずしりと重い、真鍮の合金。表面には「HEISEI」の刻印があるが、酸化して黒ずんでいる。この施設では、レトロな物理メダルと、最新の生体認証決済が奇妙に同居している。客は虹彩認証でメダルを借り、物理的な重さを楽しんで、またデジタルな口座へ戻すのだ。
叔父の記憶補助領域に更新不備のエラーが出て久しい。ここ数ヶ月、彼は毎日「明日は四月十二日の新装開店だ」と繰り返している。サポートに問い合わせても、古い人格データのパッチは後回しにされているらしい。
不意に、視界の中央に深紅の警告灯が灯った。内閣府サーバーからの割り込み。
《第0x9F2Aユニット選出:内閣総理大臣権限を付与(残り04:59)》
またか。私は汚れた軍手を外すと、空中に浮かぶホログラム・インターフェースに指を走らせた。目の前のメダル計数機が詰まりを起こしていたので、それを直すついでに、叔父のバグ修正リクエストを投げようとした。
だが、申請画面を見て指が止まる。
叔父の認識を修正するということは、「新装開店」という希望を奪い、彼をただの古びたデータベースに戻すことと同義ではないか。
私はリクエストを破棄し、代わりに「閣議決定」として、計数機の詰まり解消承認ボタンだけを虹彩スキャンで通した。生体認証が完了し、機械が再びジャラジャラとメダルを吸い込み始める。
事務所の壁には、企業ロゴ入りの紙のカレンダーが掛かっている。日付は四月十二日。もう、叔父が待ちわびた「当日」になっている。
『忙しくなるぞ、達也。気合入れろよ』
叔父は気づいていない。私は何も言わず、カレンダーをめくることなく、ただ一枚のメダルを洗浄機へ放り込んだ。
銀色のノイズの中で、終わらない前日が続いていく。