eペーパーの隙間、紙札の呪縛

──平成0x29A年08月10日 15:40

バックヤードは薄暗い。蛍光灯のちらつく音と、換気扇の唸りだけが響く。
「健、そのダンボール、奥にまとめておけ」
左耳のインプラントから、父の声が聞こえる。篠原悟。享年六十五、元百貨店修理工。職人気質で、アナログな知識なら誰にも負けないと生前よく豪語していた。

俺はeペーパー端末で今日の廃棄リストを確認する。びっしり並んだ廃棄品目に、また溜息が出た。最近、このリストが異常に長い。ほとんどが「証拠不備」で却下された物品だ。

「父さん、これ、また使い捨てカメラの束ですよ。全部で200個近い」
俺は廃棄棚にうず高く積まれたダンボールの山を指差す。中には使用済みの使い捨てカメラがぎっしり詰まっている。以前ならデジタルログとID認証だけで廃棄できた物品が、今では「物理的な記録」を求められる。

『党ドクトリンアルゴリズムの更新により、一部の廃棄物には現物と紐付けられた視覚記録が必須となった。』
eペーパー端末には、簡素な通知が表示されている。この「必須」というのが曲者だ。電子証明書だけではダメで、実際に撮られた写真の現像が要求される。そして、その現像写真と廃棄物品が「現物照合」されなければならない。

「時代錯誤も甚だしいな」
俺がぼやくと、父はいつもの調子で応じる。
「昔はな、健。証拠ってのは、触れるもんだったんだ。インクの匂い、紙の質感。そういうもんにゃ、偽りがないと信じられてたんだよ」

棚の奥から、くたびれた紙の束が出てきた。駐輪場の紙札だ。使用期限切れのものが、これまでデジタルで処理されていたはずなのに、最近はこれも「物理記録」として廃棄リストに上がってくる。一つ一つに手書きのシリアル番号が振られている。

スマートドアの向こうから、台車が通り過ぎる音がする。従業員用の通用口だ。金属と金属が擦れる鈍い音。バックヤードの奥、廃棄物を処理するシュレッダーの轟音が、今日の背景音楽だった。

父の言葉が耳元で繰り返される。「触れるもんが証拠」。
俺はeペーパー端末の画面をスワイプする。指先で触れるだけで、情報は軽々と更新される。だが、この紙札や使い捨てカメラは違う。質量があり、場所を取り、時間を食う。そして、それらを「物理的に」処理することが、今の俺の仕事だ。

ふと、一つの紙札の裏に、見覚えのない手書きのメモを見つけた。「0x29A-402-12-7」。何のコードだろう。気まぐれにeペーパー端末で検索してみるが、ヒットしない。無機質な通知が画面に瞬く。

「健、早くしろ。次のコンテナが来るぞ」
父の声に促され、俺は使い捨てカメラのダンボールを奥に押し込む。埃っぽい空間に、古いフィルムの匂いが微かに漂う。やがて、この薄暗いバックヤードが、紙とプラスチックの山で埋め尽くされるのではないか、そんな不穏な予感がした。そして、その山の下に、本当の「時代」が埋もれていくのだと。

スマートドアの開閉音。次の廃棄物が、デジタルに管理されながら、アナログな証拠を求めてやってくる。

「触れる証拠」は、やがて、触れることのできない「何か」を隠蔽するための、分厚い壁になるのだろうか。俺は、その壁を築く片棒を担いでいる。
埃を被った使い捨てカメラのレンズが、暗闇の中でわずかに光を反射していた。