電話帳の最後のページ、あなたの名前

──平成0x29A年10月17日 11:10

公衆電話の受話器が外れていた。

また誰かが悪戯したのだろう。私は腰を屈めて、螺旋状のコードを確認し、受話器をフックに戻した。テレホンカードの投入口に小さな紙片が詰まっている。割り箸の先で慎重に抜き取ると、分散SNSのアドレスが手書きで走り書きされていた。

第11治安ブロック、公衆通信機保守員。それが私の肩書きだ。

「奈々、左から三台目の受話器、また外されてた」

右耳の奥で、祖母のエージェントがため息をつく。

『あんたねえ、報告より先にカーボン台帳つけなさいよ。月末に足りなくなるわよ、また』

享年七十一。祖母の永井奈々は、この仕事の先々代の担当者だった。正確には、この公衆電話群が「文化保存指定設備」になる前から、同じブロックで通信保守をしていた人だ。肺の病気で逝った。私が十二のときだった。

言われた通り、腰のポーチから端末を出す。画面はiモード風のメニュー画面で、十字キーで「保守記録」を選び、カーボンクレジット台帳のページを開く。公衆電話一台の月間維持に〇・〇三クレジット。受話器交換が発生すると〇・〇八。祖母に言われなくても覚えているが、言われないと手が動かないのも事実だった。

入力を終えて顔を上げると、電話ボックスの横に備え付けの電話帳が揺れていた。風のせいだ。ただ、その厚みが昨日より増している気がして、開いてみた。

最後のページに、手書きの名前がずらりと並んでいる。

公式のものではない。これは知っている。ブロック住民が勝手に書き足す「非公式連絡簿」だ。公衆電話は党ドクトリンの暗号署名を経由しない。だから、匿名で繋がりたい人間がここに番号を残す。治安ブロックの保守員としては、本来報告すべき事案だった。

『見なかったことにしなさい』

祖母が言った。

「奈々、それは——」

『あたしもそうしてた。あんたのお母さんが家出したとき、ここに番号書いたのはあたしよ』

知らなかった。母は十七で家を出て、二年後に戻ってきて、私を産んで、また出て行った。その間をつないだのがこの電話帳だったのか。

指先で最後のページをなぞる。インクの濃淡がばらばらで、ボールペン、マジック、鉛筆。何十年分もの筆跡が重なっている。ページの端が手垢で丸くなっていた。

分散SNSの通知が端末に届く。保守員仲間からだ。「17日午前の巡回、異常なし?」。私は「異常なし」と打った。十字キーで文字を選ぶのは面倒だが、フリック入力のできるこの端末で、なぜかiモード風UIだけが公式対応している。誰も疑問に思わない。

電話帳を閉じようとして、最後のページの一番下に、見覚えのある字を見つけた。

祖母の字だ。几帳面な、少しだけ右に傾いた楷書。

番号の横に、母の名前。永井 彩。

その下に、もう一行。私の名前。永井 凪。そして番号ではなく、一言。

『この子をよろしく』

日付は、祖母が亡くなる三日前だった。

受話器が風に揺れて、小さくカタンと鳴った。誰に宛てたのだろう。公衆電話の神様にでも頼んだのか。それとも、いつか私がここに立つと知っていたのか。

右耳の奥で、祖母は何も言わなかった。

私は電話帳を元の位置に戻し、次の電話ボックスへ歩いた。カーボン台帳の数字が〇・〇一だけ足りない。月末までに帳尻を合わせなければ。

受話器のコードが、十月の風に小さく揺れていた。