充電切れの施政方針演説

──平成0x29A年03月04日 19:30

「いらっしゃいませ。ギガ・エレクトロへようこそ」

自動ドアが開くと同時に、耳の奥で叔父さんの舌打ちが聞こえた。
『慎一、その客のウォークマンを見ろ。WM-2の初期型を気取ってるが、電池蓋が3Dプリントの粗悪品だ。おまけに中身は安物のストリーミング・モジュールだぜ』

僕のエージェントである叔父の徹さんは、十年前の「平成」リバイバル・ブームの最中、ビンテージ家電の修理中に感電して死んだ。今はこうして、僕の接客をいちいち採点するノイズとして機能している。

19:30。閉店まであと三十分。店内には「蛍の光」のシンセサイザー音と、九〇年代風のポップスが奇妙な位相差で混ざり合って流れている。

目の前の客は、薄汚れたパーカーのポケットからデジタル円ウォレットの端末を乱暴に叩きつけた。
「これを直せ。今すぐだ。閣議決定だぞ」

男が差し出したのは、叔父さんが指摘した通りの「偽ウォークマン」だった。再生ボタンは3Dプリント特有の積層痕が目立ち、いかにも押しにくそうだ。
「お客様、あいにく当店ではビンテージ・エミュレーション品の基板修理は……」
「黙れ。私は今、第0xAF22内閣の総理大臣だ。五分間だけ、このユニットの全権を委託されている」

視界の端に、AR通知が走る。
【警告:第0xAF22内閣ユニットより政策変更リクエストを受信。差分断片:特定民生品の即時保守義務化。党ドクトリン署名……照合中】

叔父さんが鼻で笑った。
『おい慎一、この署名アルゴリズムを見てみろ。末尾が三桁もズレてる。最近流行りの「ドクトリン・ハック」だ。脆弱性を突いて、一時的に総理の権限を偽装してやがるんだよ。本物の党中央が見てたら即座にパージもんだが、あいつら今、第402ヘゲモニーの調整で手一杯だからな』

僕は困惑した。システム上は「総理」として認識されているが、中身は偽物。しかし、偽物であってもアルゴリズムが署名を承認してしまえば、それはこの世界では「真実」になる。

「総理、申し訳ございませんが、その端末は充電式NiMH電池の液漏れで基板が腐食しています。部品も在庫がございません」
「作れ! 3Dプリンタがあるだろうが! 党のドクトリンに基づき、国民の娯楽を守るのは義務だ!」

男は必死だった。まるでその古い銀色の箱だけが、崩壊しつつある世界で自分を繋ぎ止める唯一の錨であるかのように。
その時、デジタル円ウォレットの端末が「ピー」と情けない音を立てて消灯した。

【エラー:内閣ユニット交代。第0xAF22内閣、任期満了による自動解散。後任は第0xBC11内閣へ移行】

男は凍りついた。目の前のホログラム権限が消え、ただの故障した音楽プレーヤーと、残高の怪しいウォレットだけがレジカウンターに残された。

「……お時間です、元総理」
僕は努めて事務的に言った。叔父さんがゲラゲラと笑っている。
「あ、レジ横で充電式NiMHの型落ち品が安売りしてますよ。それを入れれば、もしかしたら液晶くらいは点くかもしれません」

男は何も言わず、3Dプリントの蓋が外れかかったウォークマンを掴むと、夜の秋葉原ブロックへと消えていった。

僕は閉店作業を続けながら、自分のデジタル円ウォレットを確認した。今日の給料分が、誰のものとも知れない暗号署名と共に振り込まれている。これが本物の「党」からのものか、それとも五分間だけ総理になった誰かの気まぐれな差分データなのか、僕にはもう判別がつかなかった。

「平成ってのは、こんなにスカスカな時代だったのかね、叔父さん」
『さあな。だが、少なくとも電池だけは本物だったよ』

僕は店内の電源を落とした。暗闇の中、3Dプリンタの待機ランプだけが、誰の承認も待たずに虚しく明滅していた。