プリント肌と、空っぽの承認
──平成0x29A年08月06日 02:50
深夜のコンビニは蛍光灯の音だけが響いていた。
俺は折りたたみ携帯を閉じて、カウンターに戻った。画面に残っていたのは、第0x7A2F内閣ユニットからの署名アルゴリズム解読用データパケットだ。バイト先の裏業務。店長は知らない。
「兄貴、レジ開けとくよ」
頭の中で、弟の声が響く。享年19。バイク事故。生前は隣の駅のファミマで働いてた。今は俺のエージェントとして、この古臭いPOSレジの不具合を補佐してくれている。
自動ドアが開いて、客が入ってきた。スーツ姿の女性。手にはMDプレイヤー。イヤホンコードが首に絡んでいる。平成エミュの混線がひどい時間帯だ。彼女はまっすぐプリクラ機の前に立った。
午前3時にプリクラ。珍しくもない。この時間、党ドクトリンの署名承認待ちで暇を持て余す奴らが、あの筐体に吸い寄せられる。平成の遺物。でも、実はあれ、署名アルゴリズムの検証端末なんだ。
「画像処理に偽装した暗号解読機、ね」弟が呟く。「兄貴も使ってるくせに」
黙ってレジに立つ。女性はプリクラ機の前で立ち止まり、何か画面を操作している。カシャカシャとシャッター音。でも撮影じゃない。あれは署名検証のログ出力音だ。
天井を自律警備ドローンが横切った。低い駆動音。こいつらは党ドクトリン違反を監視してる、ということになってるが、実際はただ巡回してるだけ。アルゴリズムが半ば公然と解読されてるこの時代、誰も本気で取り締まらない。
プリクラ機から女性が戻ってきた。手には感熱紙のシール。でも、そこに写ってるのは顔じゃない。16進数の羅列だ。
「お疲れ様です」俺は言った。「署名、通りました?」
彼女は少し驚いた顔をして、それから微笑んだ。「ええ。食品衛生基準の変更リクエスト。やっと承認が降りたわ」
「良かったですね」
レジの横に置いてあるスマート炊飯器が、突然ピッと鳴った。予約炊飯の通知。誰も米なんか炊いてないのに。平成エミュが勝手に「家庭の朝」を再現しようとしてる。
「兄貴、あれ消しとく?」
「いや、いい」
女性が店を出る。自動ドアの向こうは、まだ暗い。
俺は折りたたみ携帯を開いて、受信トレイを確認した。第0x7A2F内閣ユニットから、新しいパケットが届いている。次の署名解読依頼だ。報酬は、コンビニバイトの三倍。
「兄貴、これ受けるの?」
「ああ」
「党、もう終わりだな」
「そうかもな」
俺はパケットを開封した。画面に暗号文字列が流れる。その隙間に、誰かの小さな希望が紛れ込んでいる気がした。誰かの朝食、誰かの通勤、誰かの小さな変更リクエスト。
プリクラ機が、また小さくシャッター音を鳴らした。誰もいないのに。
スマート炊飯器の蒸気が、蛍光灯の光に白く滲んだ。