現像袋の向こうに灯る
──平成0x29A年12月30日 11:50
神殿跡の受付カウンターに座っていると、埃っぽい空気が肌にまとわりつく。ここは旧浦和エリアの統合参拝所。元は複数の寺社が集約された場所で、今は遺伝子ネットワークの定期アクセスポイントにもなっている。俺の仕事は参拝者の本人確認と、ネットワーク接続の補助だ。
「すみません、位置情報ビーコンが反応しないんですけど」
老人が差し出したのは、厚みのある白いカード。裏面に磁気ストライプが走っている。俺はカウンター下の古い端末にスワイプした。画面に緑色の文字列が流れる。
「問題ないですよ。ビーコンは補助なんで」
老人は頷いて奥の参拝室へ向かった。俺は再び、カウンター脇に積まれた写真の現像袋に目を落とす。昨日、倉庫から見つけたものだ。中には色褪せた家族写真が何枚も。裏に手書きで「平成9年 初詣」とある。
『翔太、それ処分していいのか?』
耳元で義兄の声がした。エージェントの福田健一だ。享年36、脳梗塞。姉の夫で、生前は歴史資料のアーカイブ担当だった。
「わからん。でも誰も取りに来ないし」
『デジタルツインの元データかもしれんぞ。遺伝子ネットワークの記録照合に使う』
俺は現像袋を閉じた。そのとき、ポケットの端末が震えた。通知を開くと、見慣れた文面が流れる。
【第0x4A2B9内閣ユニット/内閣総理大臣就任通知】
【就任時刻 11:52:30/任期 5分間】
また来たか。今月三回目だ。俺は溜息をついて、端末の閣議画面を開いた。リクエスト一覧が表示される。ほとんどが軽微な施設使用許可の変更だ。
『翔太、上から二番目』
健一が囁く。俺はその項目をタップした。
【参拝施設における遺伝子ネットワーク接続時の本人確認手続き簡略化/提出者:旧浦和エリア統合参拝所管理組合】
要するに、俺がさっきやったカードスワイプすら省略しろという話だ。ビーコンだけで済ませたいらしい。
『承認するのか?』
「どうだろうな」
俺はカウンター越しに参拝室を見た。老人が静かに手を合わせている。その姿は、現像袋の中の写真と重なる気がした。
端末には党ドクトリンの解析補助が表示されている。承認すれば効率化。非承認なら現状維持。どちらでも大差ない。
ふと、カウンター脇のCD-Rの山が目に入った。これも倉庫から出てきたもので、ラベルには「参拝者名簿バックアップ 平成15年度」とある。健一が生きていた頃のものだ。
『翔太、時間』
残り1分を切っていた。俺は現像袋を手に取り、中の写真をもう一度見た。笑顔の家族。手書きの日付。誰かの記憶の断片。
「非承認で」
俺はタップした。理由欄には「本人確認手続きの保持が望ましい」と入力する。党ドクトリンの署名アルゴリズムが走り、数秒後に承認された。
【任期終了 11:57:30】
通知が消える。俺は端末をポケットに戻し、現像袋をカウンター下の引き出しに仕舞った。いつか誰かが取りに来るかもしれない。来ないかもしれない。
参拝室から老人が出てきた。
「ありがとうございました」
「お気をつけて」
老人が去った後、俺はCD-Rの山を整理し始めた。健一の声は何も言わなかった。ただ、耳元で小さく息をする気配だけがあった。
窓の外では、年末の冷たい風が枯れ葉を舞い上がらせていた。