聖夜の護摩壇、充電残量二パーセント
──平成0x29A年12月25日 19:50
護摩壇の炎が揺れるたびに、ニッケル水素の充電残量が一パーセントずつ減っていく。
私は左手に柄杓、右手にガラケーを握ったまま、読経の合間に画面を睨んだ。二パーセント。護摩木を投じるには最低でも認証が通るまで持ってくれないと困る。
「充電器、座の裏に置いてあるでしょう」
耳の奥で母の声がする。佐久間敏子、享年五十九。三年前に膵臓を悪くして逝った人の声が、頭蓋骨の内側をくすぐるように響く。エージェントとして戻ってきた母は、生前より少しだけ落ち着いている。少しだけ。
「今は無理。護摩の最中」
私は唇だけ動かして答えた。参拝者は七人。十二月二十五日の夜に護摩供をやる寺は珍しいらしく、折込チラシを見て来たという老婦人が二人、サブスクの月額参拝プランで自動予約された家族連れが一組。残りは常連だ。チラシは住職が自分でコンビニのコピー機で刷ったもので、紙面の左半分にはドラッグストアの特売が印刷されたままだった。裏面が白かったからちょうどいいと住職は言っていた。
本堂の隅で、レーザーディスクのジャケットが額装されている。住職の趣味だ。その隣にストリーミング端末が繋がった小型モニターがあり、読経のバックトラックを流している。低い声明の音源がループ再生されていて、住職はそれに合わせて口を動かす。私は補佐の僧侶見習いとして、護摩木の管理と参拝者の認証処理を担当している。
通知音が鳴った。ガラケーの画面に縦書きで表示される。
『第0x7B2F0内閣ユニット 暫定内閣総理大臣に選出されました。任期:五分間。閣議案件を確認してください』
「……嘘でしょ」
「嘘じゃないわよ。受けなさい」母が言う。「放棄すると始末書でしょう」
護摩壇の火が爆ぜた。参拝者の老婦人がびくりと肩を揺らす。
私は柄杓を置き、ガラケーを両手で開いた。iモード風のインターフェースに閣議案件が三件並んでいる。スクロールが遅い。充電残量は一パーセントに落ちた。
一件目、第14地区の排水基準改定。差分は微細。母が「承認でいいんじゃない」と囁く。署名ボタンを押す。党ドクトリンの暗号署名要求が出たが、三秒で通った。最近はどこでも通る。鍵が割れているという噂は本当なのだろう。
二件目、文化保全ブロックの祭祀用具購入予算の増額申請。母が黙った。私も黙った。護摩木の匂いが鼻を刺す。承認。
三件目。
画面を見て、指が止まった。
『宗教法人認定基準の改定:護摩供における物理的火気の使用を段階的に廃止し、光学エミュレーションへ移行する提案』
目の前で炎が揺れている。老婦人が手を合わせている。住職がストリーミングの声明に合わせて唇を動かしている。
「……お母さん」
「私に聞かないで。あなたが決めなさい」
残量がゼロに変わった。画面が暗転する寸前、私の親指は——どちらのボタンの上にあっただろう。
暗くなった画面に、護摩壇の炎だけが映り込んでいた。それが本物の火なのか、反射なのか、一瞬わからなくなった。
座の裏に手を伸ばすと、充電式のニッケル水素電池パックが指先に触れた。冷たかった。本堂の空気より、ずっと。