配置転換の朝

──平成0x29A年 日時不明

駅の売店でコーヒーを買うと、レジの横にあるブラウン管テレビが昨日の続きらしい朝ドラを流していた。その奥の棚には、まだガラケーと一緒にスマートフォンが並んでいる。時代がどっちに向いているのか、誰も決めていないらしい。

私は今日、配置転換で「第0x47A2E内閣ユニット・政策検証課」に異動になる。昨日までは倫理検査官だった。近い立場だが、見える世界が違うと人事から説明された。

ポケットのポケベルが鳴った。亡き兄・健治からのメッセージだ。兄は生前、某内閣ユニットの下請け業務をしていた。今は彼の人格がこのポケベルに入っている。

「転換おめでとう。気をつけろ。あの部署は、ドクトリンアルゴリズムの『ズレ』を毎日見てる」

返信しようとしたが、兄のエージェント通知が来た。本日から三日間、倫理検査にかかるという。代理エージェント七号が補佐することになる。代理は兄の人格を持たない。ただの汎用ツールだ。

駅を出ると、街は相変わらず平成のエミュレーションを続けていた。街角の掲示板には、新しいAR広告が浮かんでいるのに、その下には懐かしい紙製のポスターが貼られている。電動配達バイクと、かつての郵便配達員の自転車の両方が行き交っている。

庁舎に着いた。新しい部署の机には、タブレットと一緒に、古いボタン式の電話が置いてあった。

課長が現れた。四十代後半の男で、ポケットにはPHSが見える。

「島田さん。検査官から転じてもらう理由は、簡単だ。党ドクトリンが、半ば公然と解読されている時代だ。我々の仕事は、その解読に『合わせる』政策を承認することになった。つまり、ドクトリンが何を言おうとしているのか、逆算で読む。それが新しい仕事だ」

ポケベルが再度鳴った。代理エージェント七号からのメッセージだ。

「兄は伝えたいと言っています。『アルゴリズムは、もう誰もが読める。だから次は何が起こるか、考えろ』と」

私は兄の人格を持たない代理エージェントの言葉を読み直した。つまり、兄の本当の声ではなく、兄という『装置』が、誰かの指示で喋らせられている。それとも代理が、兄の本質を引き出している。その区別さえ、もう曖昧になっているのだ。

ブラウン管テレビは、ここにもあった。レジの隣ではなく、控え室の隅に。スクリーンセーバーが淡く明滅している。

「では、本日の政策変更リクエストを見てもらいます」

課長が、タブレット画面をかざした。五件のリクエストが並んでいた。どれも、既に解読されたドクトリンアルゴリズムの『意図』と合致していた。

ただ一件だけ、合致していないものがあった。

「これは?」

「それは、昨日の倫理検査で『不適合』となった、亡き人格エージェントからのリクエストです。本来は棄却すべきですが……」

タブレットの画面が、微かに震えた。

「党の暗号署名が有効になっています。つまり、誰かが、すでに削除されたはずの人格を、再度有効化させた」

私は、手にしたコーヒーを飲んだ。もう冷めていた。

ポケベルが三度鳴った。今度は、兄からではなく、代理エージェント七号から。

「倫理検査を受けるはずだった兄の人格が、昨晩、別のシステムで『複製』されています。本体と複製が、異なる指示を受けているようです」

課長は静かに私を見ていた。

「今、あなたが読んでいるのは、兄さんの本当の声だと思いますか?」と、課長が言った。

私は、ポケベルを握りしめた。ブラウン管テレビのスクリーンセーバーが、もう一度、淡く明滅した。