回線が途切れるまで、君は踊っていた

──平成0x29A年08月11日 22:20

俺の名前は柏木遼太。三十一歳。第7娯楽ブロックのライブハウス「渋谷ディスコトーク」で音響エンジニアをやっている。

今夜も箱は満員だ。ステージではホログラム掲示されたバンドロゴが虹色に明滅している。客は九割が平成エミュに染まった若者だち。ガラケーとスマホの中間みたいな端末を手に、位置情報ビーコンで友人を探しながら、MDプレーヤーみたいな形をしたサブスク端末を首からぶら下げている。

ミキサー卓の横に掛かったアナログ時計は二十二時二十分。ステージ裏の壁にもう一つ、デジタル表示の時計があるんだが、党ドクトリンが「平成的情緒を保持」するために両方設置しろと言ってきた。正直、どっちか見れば済む話だ。

「遼太、今日の機材セッティング変えた?」

耳元でそう囁いてくるのは姉のエージェントだ。柏木千晶。享年二十八。俺が二十三の時に交通事故で死んだ。生前は音楽誌のライターをやっていて、俺がこの仕事に就くきっかけを作ってくれた人だ。

「ああ。ドラムのマイク位置を五センチ下げた」

「それ、昨日のバンドと同じセッティングじゃない? 今日のドラマーは叩き方がもっと浅いわよ」

さすが姉貴。耳がいい。

俺が返事をする前に、ステージ上のボーカルが叫んだ。

「みんな、ポケベル持ってる!?」

客席から歓声が上がる。平成エミュの一環で、ポケベルが若者の間で再流行している。正確には「ポケベル風の短文送受信端末」だが、誰も気にしていない。党ドクトリンが推奨した結果、メーカーが作り、流通が乗っかった。

ボーカルが続ける。

「次の曲、サビで一斉にポケベル鳴らそうぜ! 『0840(おはよう)』って打ち込んで、俺の合図で送信!」

またか、と俺は思う。先週もこれをやって、音響が一瞬乱れた。ポケベルの受信音は小さいが、三百台が一斉に鳴ると、低周波ノイズが卓に乗る。姉貴のエージェントは「それも平成の味よ」と笑うが、俺には単なる不便にしか思えない。

バンドが演奏を始める。客がポケベルを構える。俺はミキサーのノイズゲートを少し絞った。

その時だ。

卓の端末が震えた。内閣ユニット通知。

『貴殿を第0x4A2F9内閣ユニット内閣総理大臣に任命。残り時間04分58秒。閣議案件3件。即時レビュー推奨』

クソ、今かよ。

「遼太、総理きた?」

姉貴が即座に察する。

「ああ。曲の途中だぞ」

「大丈夫、私がサポートするから。案件見せて」

俺は端末を開く。三件の政策変更リクエストが並んでいる。

一件目:『第12医療ブロック、夜間救急車両の優先信号変更』
二件目:『娯楽施設における音響出力上限を5dB引き下げ』
三件目:『ポケベル型端末の送受信周波数帯を200MHz帯に統一』

二件目が俺の仕事に直結している。音響出力を下げろ、という党ドクトリンの推奨だ。客の耳を守るため、と理由が書いてある。

「千晶、これ……」

「非承認でいいんじゃない? 現場の判断に任せるって書けば」

そうだ。俺はこの箱で十年働いている。出力の上げ下げは現場が決める。党のアルゴリズムに任せる話じゃない。

俺は二件目に『非承認』を入力した。

その瞬間、ステージでボーカルが叫ぶ。

「せーの!」

三百台のポケベルが一斉に鳴った。

低周波ノイズが卓に被る。スピーカーから「ブーン」という唸りが漏れた。客が笑う。バンドが演奏を続ける。ホログラム掲示が一瞬、乱れて消えた。位置情報ビーコンのLEDが点滅する。

俺は三件目の案件を見た。『ポケベル型端末の送受信周波数帯を200MHz帯に統一』。これを承認すれば、今みたいなノイズは減るかもしれない。

でも、承認すれば、現場の工夫が要らなくなる。俺の仕事が減る。

「遼太、どうする?」

姉貴が囁く。

俺は一件目だけ承認し、三件目を非承認にした。救急車両は大事だ。でも、ポケベルのノイズは俺が対処する。

端末が震える。

『閣議終了。任期満了』

アナログ時計の針が二十二時二十五分を指していた。

ステージでは曲が終わり、客が拍手している。ホログラム掲示が復旧し、バンドロゴがまた光る。

「お疲れさま、遼太」

姉貴の声が優しい。

「……姉貴、俺、この仕事好きだわ」

「知ってるわよ」

俺はミキサーのフェーダーを上げた。次の曲が始まる。客がまた踊り出す。ポケベルを握りしめて、位置情報ビーコンを点滅させながら。

アナログ時計の秒針だけが、静かに回り続けていた。