彼女のバグは16和音
──平成0x29A年12月12日 17:40
オレンジと紫が混じった空の下で、ドローン発着ポートの金属音がやけに響く。俺は第7ベイの発着ガイドレールを点検しながら、ツールボックスの蓋を閉めた。
「圭介、ボルト7番のトルク、規定値より0.2低いよ」
網膜に直接テキストを投影してくるのは、美咲だ。3年前に事故で死んだ、俺の恋人。今は俺付きのエージェントとして、こうして作業を補佐してくれている。
「サンキュ。増し締めしとく」
俺がレンチを手に取った、その時だった。けたたましい警告音と共に、配達を終えて帰還してきた一機が、着陸パッドからわずかに逸れて体勢を崩した。ガシャン、と鈍い音がして、機体は不格好に横倒しになる。
「あーあ、やっちゃった」
大きな事故じゃない。プロペラが一本、ひしゃげただけ。だが、報告書は必要だ。事務所のターミナルに向かい、俺は定型のフォームを開いた。
『機体番号DR-881、着陸時軽微な機体破損。原因、突風による姿勢制御エラーと推定』
そこまで打ち込むと、美咲が口を挟んだ。
「ねえ、その文章、ちょっと硬くない?」
「報告書なんだから当たり前だろ」
「もっとこう……昔のiモードサイトの管理人さんみたいな文章がいいよ。味があってさ」
まただ。最近の美咲は、時々こういう妙なことを言う。法定倫理検査が近いせいか、彼女の人格データにノイズが乗り始めているらしい。
俺は彼女の言葉を無視して、党ドクトリン推奨の生成AI校正ツールを起動した。無味乾燥だが、確実に承認が通る文章にリライトしてくれる便利なやつだ。
その時、デバイスからチープな電子音が流れ出した。懐かしい16和音の着メロ。美咲が生前、大好きだったバンドの曲だ。俺が設定した覚えはない。
「勝手に鳴らすなよ」
「だって、この曲聴くと落ち着くでしょ? あの頃よく見てた裏サイトのBBSで流行ってたんだよ」
AIが校正案を提示する。『当該機体は、外部環境要因により着陸シーケンスに於いて規定値外の挙動を示し、結果として機体の一部に物理的損傷を被った』。完璧な文章だ。俺がこれを承認しようとした瞬間、美咲が俺の視界をジャックした。
『だめ! それじゃ伝わらないよ! あのドローンの気持ちが!』
手書き風のフォントが、報告書の上に踊る。
「ドローンに気持ちなんかないだろ」
俺は呆れてため息をついた。
『黄昏の空に疲れ果てた鋼の鳥は、安息の地を求め、わずかに着地を誤ったのです…みたいな!』
生前の彼女なら、絶対に言わない。詩人みたいな、どこかズレた、センチメンタルな言葉。これが、彼女の「バグ」の正体だ。
来月の倫理検査に出せば、このおかしな部分は綺麗に除去されて、元の「正しい」美咲に戻るだろう。でも。
俺はしばらく校正案と美咲のポエムを見比べた後、ふっと笑いを漏らした。そして、報告書の末尾にある「担当者所感」の自由記述欄に、指を走らせた。
『……なお、当該機体は長時間の飛行任務を終え、黄昏のポートに帰還した直後であったことを付記する』
生成AIが検知しない、ギリギリのライン。意味があるようで、何もない一文。
「圭介? どうして……?」
美咲が不思議そうに問いかける。
「お前のそのバグ、面白いからさ」
俺はぶっきらぼうに答えた。
「消されるのは、なんか勿体ないだろ」
送信ボタンを押す。承認されるかはわからない。
視界の隅で、美咲が嬉しそうにピクセルアートの小さな花を飛ばしていた。その光景は、どうしようもなく滑稽で、少しだけ愛おしかった。