年賀状が届く前に、ドローンが笑った
──平成0x29A年11月27日 11:00
レジの向こう側で、おばあちゃんが怒っている。
正確には、おばあちゃんの声をした代理エージェントが怒っている。
「この年賀状、インクジェット用って書いてあるのに、なんで熱転写なの。あたしの目は節穴じゃないのよ」
あたしは息を吸って、笑顔をつくった。ホームセンター「コメリパワー」旧所沢エリア店、文具コーナー担当の三ヶ月目。十一月の下旬は年賀状フェアの追い込みで、毎日この手のクレームがくる。
「申し訳ございません。パッケージの表記を確認しますね」
棚に並んだ年賀はがきのサンプルを手に取る。干支はウサギだった。いや、ヘビか。パッケージにはウサギとヘビが重なった不思議なイラストが描かれていて、どっちの年なのか正直わからない。毎年こうだ。平成の暦がどこかで二周か三周して、干支の対応表が何度かリセットされたらしい。
あたしの右耳の奥で、叔父さんが囁いた。
『リサ、その客のエージェント、倫理検査中の代理だぞ。元の人格と応答パターンがずれてる。怒ってるんじゃなくて、「不満」の翻訳閾値がおかしい』
叔父さん——中島幸雄、享年四十三、バイク事故。母の兄で、生前はこのへんの郵便局で仕分けをやっていた。年賀状には詳しい。
「お客様、こちらインクジェット紙で合っておりますが、包装の内側のロット表記をご確認いただけますか」
おばあちゃん——というか、代理エージェントごしの七十代くらいの女性は、はがきの束をひっくり返した。裏面に「IJ-2」と小さく印字がある。
「……あら、そうね。ごめんなさいね」
声のトーンが急に柔らかくなった。本人の人格が一瞬顔を出したのか、代理の誤訳が補正されたのか、わからない。
『ほらな』と叔父さん。『代理エージェントの感情マッピング、最近ひどいんだよ。検査に出してるあいだの代替品がポンコツだから、みんなイライラして見える』
会計を済ませ、おばあちゃんを送り出すと、自動ドアの外で自律警備ドローンが一台、低い唸りを上げてホバリングしていた。駐輪場の入口あたりをゆっくり旋回している。
あたしは休憩に入ったついでに、駐輪場の紙札を確認しに出た。ここは昔ながらの管理方式で、自転車のハンドルに紙の駐輪許可札をくくりつける。センサーダストで個体識別はできるはずなのに、紙札がないとドローンが不審車両としてマークしてしまう。
あたしの自転車には札がちゃんとぶら下がっていた。でも隣の自転車——水色のママチャリ——には札がなくて、ドローンが近づいてはカメラのレンズを光らせている。
『あのドローン、センサーダストの読み取りだけで済むのに、紙札がないと「異常」って判定しちゃうんだよな。制度の差分が噛み合ってない典型だ』
叔父さんは郵便局員だったくせに、こういうシステムの話が好きだった。
ドローンが回転し、あたしのほうを向いた。スピーカーから合成音声が流れた。
「この車両の所有者をご存じですか」
「さあ、お客さんのだと思いますけど」
「了解しました。感謝の意を表明します」
その言い方があまりにも仰々しくて、あたしは吹き出しそうになった。
『……今の、代理エージェントの翻訳エンジンと同じやつだ。丁寧すぎて逆に変なの』
叔父さんがぼそっと言った。
あたしは缶コーヒーを一口飲んで、駐輪場のフェンスにもたれた。iモードの画面みたいな社内ポータルを開くと、午後のシフト表の下に小さな通知が出ていた。
「第0x7A2F1内閣ユニット閣議参加要請——中島リサ殿、本日14:32:00より5分間」
また来た。先月も当たった。
『お、総理か。今度はちゃんと政策リクエスト読めよ。前回、承認ボタン押す前にタイムアウトしただろ』
「うるさいな。レジ混んでたんだって」
あたしは通知を既読にして、ポータルを閉じた。ドローンはまだ水色のママチャリのまわりを回っている。
「感謝の意を表明します」と、もう一度言った。
誰にも感謝されてないのに。
なんだか、今日はみんな——代理エージェントも、ドローンも——翻訳を間違えている日だった。でも間違えたまま、どうにか回っている。
それで十分なのかもしれない、と思いながら、あたしはコーヒーの残りを飲み干して、年賀状の山が待つ店内に戻った。