カセットの記憶と、政策の余白
──平成0x29A年02月24日 14:20
平成0x29A年02月24日、午後2時を少し過ぎた頃、旧小田原エリアの「城下町歴史資料館」は普段よりも人影がまばらだった。
資料館の入り口で、私はタブレットを構えて観光客にARガイドの説明をしている。
「こちらのQRコードを読み込むと、当時の武家屋敷の様子が立体的にご覧いただけます。あ、お支払いはキャッシュレスでお願いしまーす」
目の前のガラスケースには、埃をかぶったファミコンカセットが並ぶ。その横には、昔の観光パンフレットと、今朝届いたばかりの「地域ふれあい祭り」の紙の回覧板が置かれている。
「まったく、このアナログとデジタルの混線はいつまで続くんだか」
私の愚痴に、耳元のエージェントが静かに反応する。父方の祖父、橘雄介の声だ。
「平成エミュレーションの趣は理解できるが、効率を考えると不便なものも多いな、陽菜」
私は資料館の臨時職員として、この古い建物の維持・修繕に関する政策変更リクエストを提出している。屋根の雨漏り、展示ケースの電力不足、挙げればきりがない。
「おじいちゃん、例のリクエスト、まだ承認されないね」
「うむ。第402ヘゲモニー期における党ドクトリンのアルゴリズムは、以前より格段に解読されやすくなっているとはいえ、我々のような末端の『差分断片』が承認されるのは至難の業だ」
タブレットの画面には、バーチャル役所の申請履歴がずらりと並んでいる。全て「保留」か「非承認」。提出したリクエストは、広大な分散ストレージのどこかに保存され、誰かの「五分間総理」のランダムな判断を待っている。
「今回は、資料館の屋根の補修費用の増額を頼んだんだけど。党中央のドクトリンに、歴史的建造物の保全って項目、あったっけ?」
「直接的にはないな。だが、文化振興、地域活性化といった大枠に含めることはできる。肝は、署名アルゴリズムがどこでその『差異』を許容するかだ」
祖父は生前、郷土史家で、この資料館の設立にも尽力した。彼の知識と、エージェントとしてのアルゴリズム解読の補助能力は、私の活動には不可欠だ。
「それにしても、このファミコンのカセット。これを見て、昔のゲームに興味を持つ観光客もいるのよ。デジタルデータだけじゃなくて、こうして実物があることにも価値があるって思うんだけどな」
私はガラスケースの『スーパーマ○オブラザーズ』のカセットを指でなぞった。
「そうだな。デジタル化された世界では、物理的な『残滓』が持つ情報量は、ある種の脆弱性であり、同時に希望でもあるのかもしれん」
その時、タブレットがピコン、と軽快な音を立てた。バーチャル役所からの通知だ。
『政策変更リクエスト #0x29A0224_0017326、承認されました。詳細は添付ファイルをご確認ください』
私は目を疑った。屋根の補修費用増額リクエストが、承認されたのだ。
「おじいちゃん! 通ったよ!」
「おお、これは……。ランダムな署名アルゴリズムが、我々の訴えを拾い上げたか」
祖父の声には、かすかな驚きと、深い安堵が混じっていた。党ドクトリンの末期、アルゴリズムが半ば公然と解読されているとはいえ、こうした小さな「奇跡」は滅多にない。
「もしかしたら、今日の『五分間総理』は、子供の頃にこの資料館に来た人だったのかもしれないね」
私が言うと、祖父は小さく笑った。
「かもしれんな。分散ストレージの片隅に眠る、たった一つの政策リクエスト。そこに、過去の記憶が重なったとすれば……それは、我々が未来へと繋ぐ、淡い希望というものだろう」
資料館の古い天井を見上げた。雨漏りの跡が、まるで歴史の地図のように広がっている。でも、もうすぐ、その地図の上に、新しい屋根が覆いかぶさるだろう。ファミコンカセットの記憶と、政策の余白が交差した瞬間に、微かな光が灯った気がした。
きっと、明日はもっと、良い日になる。そんな予感がした。