錆びた改札、午後の法要
──平成0x29A年02月08日 13:30
視界の端で、時刻表示が「平成0x29A年02月08日 13:30」へと切り替わった。
「定刻だ。始めろ、タカシ」
脳内で祖父の声が響く。俺は居住用ユニットの狭い畳部屋で、居住まいを正した。目の前には、急ごしらえの祭壇がある。積み上げられたMDコンポ、線香代わりのLEDキャンドル、そして遺影を表示したタブレット端末。
俺は法衣の袖から数珠ではなく、束になった『磁気定期券』を取り出した。
「これより、故・鈴木イチロウ殿の四十九日データ定着法要を執り行います」
俺の声に合わせて、親族たちが一斉にスマートフォンを取り出す。彼らの手元では『ブロックチェーン投票』のアプリが起動しており、故人の人格データをクラウドの彼岸へ移行させるための承認トランザクションが待機中だ。
俺は一枚目の定期券を、祭壇の手前にあるカードリーダー――古い自動改札機の一部を改造した焼香台――に通した。
ジジッ、と乾いた音がして、吸い込まれた券が反対側から吐き出される。
『――南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』
MDコンポが再生を始め、読経の合成音声が流れる。俺はそれに合わせて、網膜投影された『記憶補助アプリ』のテキストを目で追いながら、補足の祝詞(コード)を詠唱する。
「……これより同期を開始。生前のログ、クラウドのバックアップ、差分を統合し……」
その時だった。
『まだだ……まだ、会社に行かなきゃならん……』
タブレットの中の遺影が明滅し、ノイズ混じりの声がスピーカーから漏れた。参列者たちがざわつく。
「おい、再同期エラーだぞ」
祖父の冷静な指摘が脳裏に走る。見れば、親族たちの投票アプリが『否認』の赤色を示していた。故人の未練データが残留し、成仏アルゴリズムが完了しない。
「どうなってるんですか、お坊さん」
喪主らしき中年女性が不安げに尋ねてくる。俺は脂汗をかきながら、手元の端末でステータスを確認した。鈴木さんの人格データが、退職日と死亡日の間でループしている。典型的な勤労強迫バグだ。
「タカシ、電話帳だ。物理(モノ)のほう」
祖父が言った。
俺は祭壇の脇に置かれていた、分厚い紙の『電話帳』を手に取った。ハローページと呼ばれる、この時代の遺物。ずっしりと重い。祖父の指示に従い、俺はそれをパラパラと捲った。
「『す』の欄じゃない。裏表紙だ」
言われるがままに裏表紙を開く。そこには、一枚の古いメモがセロハンテープで貼り付けられていた。
『定年まであと三日。長い旅だった』
手書きの文字。そしてその横に、使い古された磁気定期券が一枚、挟まっていた。
『会社へ……行かなきゃ……』
遺影の鈴木さんがうわ言を繰り返す。
「タカシ、その定期券を通せ。それで満期だ」
俺は電話帳から剥がしたその定期券を、震える手でリーダーの投入口に差し込んだ。
チュイーン、という軽快な駆動音。
ピンポーン。
かつて駅の改札で鳴っていたという、承認のチャイムが部屋に響いた。
一瞬の静寂の後、タブレットのノイズが消える。遺影の表情がふっと穏やかなものに変わった。
親族たちのスマホが一斉に振動し、ブロックチェーンの承認完了を告げる通知音が重なり合う。
『……お疲れ様でした』
誰の言葉ともつかない声がスピーカーから漏れ、MDの回転が止まった。
法要が終わり、俺は帰り支度をする。
手元には、リーダーから吐き出された最後の磁気定期券があった。表面には小さなパンチ穴が開いている。
指先でその穴を撫でる。プラスチックの冷たさと、微かな窪みの感触。
「いい仕事だったな、タカシ」
祖父の声は満足げだったが、俺は何も言わず、その定期券を法衣のポケットに深くねじ込んだ。指先に残る穴の感触だけが、彼が確かにこの世の勤めを終えた証のように思えた。