端子の埃と、未決済の冒険

──平成0x29A年10月13日 23:50

 壁に掛かったアナログ時計の秒針が、カチ、カチ、と乾いた音を立てていた。深夜二十三時五十分。第8資源循環局の夜間受付窓口は、静まり返っているはずの時間だが、私の目の前には処理待ちのプログレスバーが点滅していた。

「おい亨(とおる)、その砂時計アイコン、もう三分も回ってるぞ。フリーズしてんじゃねえの」

 脳内で兄貴の声がする。兄の健一は五年前に心不全で死んだ。元プログラマーで、生前はレトロゲームの収集狂だった。今は私の視覚野に相乗りして、暇つぶしに仕事の粗探しをしている。
「黙っててくれ兄貴。党ドクトリンの監査サーバーが混んでるんだ。最近は廃棄物ひとつ捨てるのにも、権利関係の照合で時間がかかる」
 私はカウンターの向こうで小さくなっている老婆に、申し訳なさそうな視線を送った。彼女が震える手で差し出したのは、黄ばんだプラスチックの塊。旧世紀の規格、いわゆる「ファミコンカセット」だ。

「あの、まだでしょうか……。これ、孫の遺品なんですけど、部屋を片付けたくて」
「申し訳ありません。このカートリッジに含まれる知的財産権のサブスクリプション状況を確認しておりまして……あ、出ました」

 手元の端末がけたたましいビープ音を鳴らし、赤い文字で『未納』と表示した。私はため息を噛み殺す。
「お客様、大変申し上げにくいのですが、このソフトの利用権、月額課金の支払いが三年分滞納されています。所有権を放棄して廃棄するには、未納分の清算が必要です」
 老婆は目を丸くした。「捨てるのにお金がかかるんですか? そんな、ただの古いおもちゃなのに」

「クソ仕様だな」兄貴が吐き捨てる。「コンテンツ保護法第402条か。物理メディアだろうが、認識された時点でクラウドのライセンスDBと紐づく。解約忘れのサブスクが、死後もゾンビみたいに請求を続けるってわけだ」

 窓の外には、夜空を突き刺すようにそびえる高層農業プラントの紫色の育成光が見える。あの光の下では、遺伝子調整された野菜が効率的に生産されているというのに、ここでは三十年前のゲームソフト一本が、行政の処理能力を食いつぶしている。平成エミュレート社会の歪みそのものだ。

 時計の針が二十三時五十五分を指した。日付が変われば、また一日分の日割り計算が加算されるかもしれない。老婆は困り果てて、財布の中の小銭を探り始めた。

「亨、そのカセット貸してみろ」兄貴が言った。「端子部分、すげえ汚れてるぞ」
「だから何だ」
「読み込めなきゃ、それはただのプラスチックゴミだ。著作物として認識されなきゃ、燃えるゴミで出せるんだよ」
「でも、もうスキャナーに通しちまった」
「再スキャンだ。で、スキャンする瞬間に息を吹きかけろ」

 私は眉をひそめた。「は? 何の意味が」
「いいからやれ。カセットの端子にフーフーするんだ。それが昭和と平成の作法だ」

 私は周囲を見回した。監視カメラの死角を確認し、カセットを手に取る。端子部分に向けて、短く、強く息を吹きかけた。湿気を含んだ呼気が、金色の端子を曇らせる。
「エラー起こせ、エラー起こせ……」と念じながら、再度ハンドスキャナーをかざす。

 『認識不能:不明なオブジェクト』

 端末が緑色のランプを点灯させた。監査アルゴリズムが、これを著作物ではなく、単なる樹脂の塊と判断したのだ。
「よし!」私は小さくガッツポーズをした。「お客様、処理できました。こちらは『破損したプラスチック片』として、無償回収いたします」
 老婆は安堵の表情を浮かべ、「ああ、よかった。ありがとうねえ」と頭を下げて去っていった。

 日付が変わるのと同時に、私は回収ボックスへカセットを放り込んだ。
「へへ、上手くいったな」兄貴が得意げに笑う。「で、実はさっきの一瞬で、セーブデータだけ俺の領域にバックアップしといた」
「はあ? 何してんだよ」
「『冒険の書』が残ってたんだよ。レベル99だぞ。孫のやつ、頑張ってたんだな。消すのは忍びないだろ」

 私は呆れて、窓の外のプラントを見上げた。紫の光が、少しだけ優しく滲んで見えた。
「勝手にしろよ。でも、その冒険の続きはお前がやるんだぞ」
「おうよ。サブスク代はお前の給料から引いといてくれ」
 アナログ時計が深夜零時の鐘を、どこか間の抜けた音で鳴らした。