回収箱の底で、番号が呼ぶ

──平成0x29A年10月07日 13:00

平成0x29A年10月07日、13時。資源循環ステーションの裏手は、雨上がりの金属臭と、溶けかけの洗剤の甘い匂いが混じっていた。

私は「記録消去つき回収」の作業員で、端末の脳波UIバンドをこめかみに当てて、今日の割り当てを呼び出す。視界の隅に、古いiモードみたいなメニューが浮き、そこにサブスクの更新通知まで重なって勝手に点滅した。

「焦点、合わせすぎ。頭痛くなるぞ」
耳元で、父の声がした。父の人格エージェントは、亡くなってからも私の補佐役だ。いまも工場の油にまみれた口調で、すぐに現場のやり方を指図する。

今日は、個人データの再同期トラブルが多いと朝から分散SNSが騒いでいた。『#再同期地獄』『#回収箱から戻ってくる私』。誰が言い出したのか分からないのに、同じ文面が各ノードで微妙に違って流れている。

回収箱の列を開けると、最初に出てきたのはポケベルだった。透明な樹脂が黄ばんで、裏のクリップは欠けている。

「まだ鳴るか?」と父。

私は電源を入れようとして、手が止まる。回収物は、連鎖台帳に「破棄」か「再資源化」かを投げる前に、所有者の差分断片——残す設定、消す記憶、移す鍵——を確認しないといけない。

脳波UIが、勝手に所有者候補を提示した。

《推定所有者:私》

「は?」声が漏れた。

父が低く笑う。「お前、そんなの持ってたっけ」

持ってない。私は平成のことを「雰囲気」でしか知らない世代だ。なのに、ポケベルの中身が、私の分散IDと再同期しようとしている。端末の画面に、細い警告が走った。

《再同期衝突:ローカル記憶と一致しない差分》

周囲のコンベアが一瞬だけ止まり、作業場のスピーカーから、合成音声のアナウンスが流れた。

「第0x3F1A2内閣ユニット、廃棄物個人情報取扱い規程の差分レビュー開始。担当者は補助エージェントと共に判断を行ってください」

この場の誰かが、たった五分だけ首相役を引いたのだろう。いつものことなのに、突然自分の手元のポケベルが国家手続きの入口になった気がして、胃が冷えた。

父が言う。「まずは差分を見ろ。消すな、急ぐな」

私は脳波UIの“覗き見”許可を最小に絞り、ポケベルのデータをサンドボックスに隔離した。すると、ポケベルの小さな表示が、かすれた数字を吐いた。

《0840》

その瞬間、分散SNSの通知が重なる。

『0840って何? 回収に出したのに、昔の番号が戻った』

同じ投稿が、別の言い回しで、別のノードからも流れてきた。再同期の波が、回収箱経由で戻っている。

「これ、誰かが“残す”を選んだのに、台帳が“消す”で署名したんじゃない?」
私が言うと、父は鼻で息をついた。

「党の印が要るんだろ。最近はみんな読めるって話だ。読めても、責任は現場に落ちる」

作業台の奥で、回収品の一部を「再利用展示」に回すコーナーがある。そこに、プリクラ機が鎮座していた。筐体の角は欠け、画面は薄く焼けているのに、装飾だけはやけに元気で、平成の丸文字が踊っている。

私はふと思いついて、隔離したポケベルの差分断片を、プリクラ機のローカル保存領域に一時退避した。古い機械は、台帳連携が弱い。最新の署名アルゴリズムの監視が薄い場所だ。

父が咎めるように言う。「抜け道か?」

「抜け道じゃない。迂回。所有者の“残す”が、ちゃんと誰かに届くまで」

プリクラ機は、起動音だけは元気だった。ピロリ、という間抜けな電子音。私は脳波UIで“撮影なし・保存のみ”の設定を探し、指ではなく意識で選ぶ。画面に、懐かしいみたいなフレームが勝手に出て、虹色のハートが点滅した。

《ローカル保管:差分断片 1件》

その直後、スピーカーがまた鳴った。

「第0x3F1A2内閣ユニット、判断期限まで残り二分。廃棄処理を継続してください」

私は汗ばんだ手袋でポケベルを握り直す。破棄に投げれば、衝突ごと消える。だけど、分散SNSに流れている“戻った番号”は、誰かの生活の穴だ。穴を塞ぐのが最適化だと、昔の何かが決めたのかもしれない。

父の声が少し柔らかくなる。「お前、昔からそうだった。拾って、直そうとする」

私は脳波UIで閣議の差分フォームを開き、最小の提案を書いた。

《回収物由来の再同期衝突は、展示再利用端末に一時退避し、所有者が分散SNS経由で引き取り要求できる猶予を与える》

署名要求が走る。党ドクトリンの鍵が必要、と赤く出る。けれど次の瞬間、どこかで解読されたのか、署名が“通った形”だけが返ってきた。薄い、紙のような承認。

コンベアが動き出し、回収箱の列がまた唸り始める。

私はプリクラ機の脇に、小さな紙札を貼った。油性ペンで、平成っぽい丸文字を真似して。

「0840 さがしてる人へ。ここに一時保管。分散SNSで『回収展示コーナー』に連絡して」

父が笑う。「なんだそれ。掲示板かよ」

「掲示板だよ。たぶん、いちばん強い」

昼の光が、資源の山の隙間から差し込んだ。プリクラ機の画面が一瞬だけ明るくなり、保存フォルダの隅に、撮ってもいないはずの小さなサムネイルが生まれた。

私と父が、並んで笑っている。

脳波UIの誤作動か、差分のいたずらかは分からない。でも、その画像にだけは、誰の署名も要らない気がした。