未現像のドクトリン

──平成0x29A年08月27日 02:40

ベルトコンベアの単調な駆動音が、だだっ広い廃棄処理場に響いている。午前二時四十分。生ゴミとオイルと、古紙が湿った匂いが混じり合って、鼻の奥にこびりついていた。

『次のロットまで、残り三分です』

耳元のインプラントから、代理エージェントの合成音声が響く。抑揚のない、完璧に調整された声。本来ここにいるはずの、爺さんの軽口とは大違いだ。

『健吾、腹減らねえか? 昔のカップ麺はな、三分待つのが粋だったんだぞ』

もし爺さんがいたら、きっとそう言っただろう。あいつは法定倫理検査とかで、もう二週間も留守にしている。

流れ着くガラクタの山から、規定外の資源物を弾き出すのが俺の仕事だ。プラスチックの塊、ひしゃげた金属片、正体不明の電子基板。その中に、不意に見慣れない形を見つけた。

オレンジと黒の、安っぽいプラスチックの箱。使い捨てカメラだ。
平成の映画で見たことがある。こんなものが、まだ残っていたのか。

俺は思わずそれを手にとった。

『警告。未登録物品の保持は、服務規程第7項に抵触する可能性があります』

代理エージェントは、いつだって正しい。だが、面白みはゼロだ。

俺は警告を無視して、カメラを弄んだ。カチリ、とフィルムを巻き上げるダイヤルが、乾いた音を立てる。カウンターは「24」を指していた。まだ、撮り切っていないらしい。

作業ブースの壁には、めくり忘れた紙のカレンダーが掛かっている。先月のアイドルの、完璧な笑顔。爺さんなら「いいケツしてんなあ」とか言って、代理エージェントに倫理違反警告を受けていたに違いない。

好奇心に負けて、俺は手元のエッジAI端末にカメラをかざした。廃棄プロトコルを最終決定する、ただの認証機だ。
スキャン光が走り、端末の液晶に文字が浮かぶ。

【品目:光学記録装置(アナログ)】
【特記事項:内部に未現像フィルムの存在を検知】

『プロトコル9-Cに基づき、個人情報漏洩防止のため即時物理破砕を推奨します』

代理エージェントが、間髪入れずに告げる。まあ、そうだろうな。
誰かの夏休みか、卒業式か。そんなものが写っているのかもしれない。

俺は端末の「承認」ボタンに指を伸ばした。だが、その指が触れる直前、画面が赤い警告に変わった。

【エラー:量子署名が不一致。党中央ドクトリン鍵の同期に失敗しました】

またか。最近、やけに多い。このポンコツな独裁アルゴリズムも、そろそろ寿命なんだろう。
何度か再試行したが、結果は同じだった。

どうしたものか。ポケットにでも隠しておくか。そう思った瞬間、端末の画面が青白く発光した。

【内閣ユニット第0x8B3F1より臨時統治権限が付与されました】
【5分間、あなたは第0x8B3F1内閣ユニットの内閣総理大臣です】

冗談だろ。こんな時間に、こんな場所で。
目の前の画面には、見慣れた閣議フォーマットが表示されていた。

【議案番号:882-C】
【件名:リサイクルブロックにおける未現像アナログ記録媒体の即時破棄プロトコル強化について】

まるで、俺の状況を見透かしたような議案だった。内容は、プライバシー保護を大義名分に、問答無用で破壊する手順を、さらに厳格化するというもの。

『党ドクトリンとの論理整合性に基づき、本議案の『承認』を強く推奨します。承認用の量子署名を生成します』

代理エージェントが、俺の判断を促す。
ポケットの中のカメラが、ずしりと重く感じた。誰かの思い出。それを守るどころか、未来永劫、同じようなものが現れる可能性を摘み取る議案。

爺さんなら、なんて言うだろう。

『そんなもん、知ったこっちゃねえ。面白そうなほうを選べ』

声が聞こえた気がした。
俺は、迷わず「非承認」のパネルを叩いた。

『警告。ドクトリンとの不整合を記録します。本決定はあなたの将来的な評価に影響を及ぼす可能性があります』

「うるさい」

五分はすぐに過ぎた。俺はただの作業員に戻った。端末の画面も、通常業務モードに戻っている。

俺はもう一度、使い捨てカメラの廃棄承認を試みた。今度は何事もなかったかのように、緑色の承認サインが灯る。

「……まったく」

俺は自嘲気味に呟くと、ポケットからカメラを取り出し、破砕機へと続くベルトコンベアの上に、そっと置いた。
プラスチックの箱は、他のガラクタに混じり、ゴトゴトと音を立てながら闇の向こうへ消えていく。

『何かおっしゃいましたか?』

代理エージェントの無機質な声が、やけにクリアに聞こえた。

「いや。爺さんの検査、まだ終わんねえのかってな」

空っぽになったポケットに手を突っ込みながら、俺は乾いた笑いを漏らした。世界に逆らった気になって、結局は言われた通りの仕事をしている。こんな喜劇もないだろう。