乱数ロックの隙間
──平成0x29A年09月21日 15:00
指揮所の大型ディスプレイが、突如として赤と黒の点滅を始めた。平成0x29A年09月21日15:00、大規模災害訓練「エリア029A」は混乱の淵に突き落とされた。
「浅野さん、医療班のアクセス権限が全員非承認になっています!」
「救助隊も!第三区域で身元不明と判断されて、訓練用ゲートが開かないって!」
耳元のインカムから次々と報告が飛び込んでくる。俺、浅野悟は冷や汗が背中を伝うのを感じた。こんなトラブルは初めてだ。訓練どころか、現実なら大惨事だ。
『悟、落ち着け。慌てても事態は好転しない』
父、賢治のエージェントが脳内に響く。元消防署の救助隊長だった父は、どんな状況でも冷静だった。享年65、心筋梗塞。俺がまだ若かった頃、突然逝ってしまった。
「父さん、これは一体…」
「量子乱数ロックの誤作動だ。党ドクトリンの根幹に関わる部分だぞ。通常ではありえない」
ディスプレイの不規則な点滅は、それがシステムの深い部分からのエラーであることを示唆していた。数十万の内閣ユニットが並行処理で統治を回すこの社会で、根幹のアルゴリズムが破綻しかけている証拠。半ば公然と解読されている、なんて噂は聞いていたが、まさか訓練で露呈するとは。
「現場ではどう対応させる?」俺は焦りを隠せない。
『アナログでの本人確認を指示しろ。旧式の身分証でも何でもいい。医療班にはリモート診療端末で接続を試みさせろ。あれなら最低限の認証はできるはずだ』
父の助言に従い、各班に指示を飛ばす。現場からの映像には、隊員が持参した現像袋から古い免許証を取り出し、訓練員に見せている姿が映し出された。デジタル化された社会で、まさか写真の現像袋が役立つとは。平成エミュレーションの文化様式が、皮肉にも緊急事態を支えている。
「本部、医療班より報告。リモート診療端末からのシステム介入は成功。一時的に権限を付与できました!」
よし。俺はふと、休憩スペースの隅に置かれた年代物のPS2に目をやった。隊員が気晴らしに持ち込んだものだろうか。最新のゲームはVRやARが主流なのに、あの旧式のハードがなぜかそこにある。この社会は、本当に奇妙な混線の中にいる。
訓練終了後、指揮所の照明が落とされ、静寂が訪れた。疲労困憊の体に、冷たい水が染み渡る。
『よくやった、悟』
「父さん…俺、本当に父さんのエージェントがいてくれて助かるよ」
俺は、いつも強がってしまう本音を、ポツリと漏らした。この感情が父にどう伝わっているのかはわからない。だが、父のエージェントは少しだけ優しい声で応えた気がした。
『お前は、お前のやり方でやればいい。私はただ、お前の傍にいるだけだ』
俺は、目の前のトラブルに気を取られ、いつも父の言葉に頼りすぎてしまう。でも、きっとそれが俺の限界で、今の俺なのだ。少しだけ、肩の荷が下りたような気がした。