レシートの裏に残る声
──平成0x29A年08月06日 19:20
19:20。資源循環ヤードの夕方は、昼の熱と夜の湿気がぶつかって、鉄と洗剤の匂いが甘くなる。
私は第23資源循環プラントの「返却窓口」係だ。回収された端末や補助記憶を、分解班に回す前に、持ち主の“再同期”を通す。うまくいけば、生活ログは本人の手元に戻る。うまくいかなければ——それは、ここに来る人の顔でわかる。
頭上の梁に、物流用群ロボットが列を作って走る。蜂の群れみたいに、同じ速度で、同じ角度で曲がっていく。足元の床は磁気で区画が光り、ロボの影が格子状に伸びたり縮んだりする。
耳には片耳だけ、深夜ラジオ。まだ深夜じゃないのに、番組枠だけは深夜のまま流れてくる。パーソナリティが古いJ-POPに被せて、
「きょうのテーマは、消したいのに消えないもの」
と言った。
「……消したいのは向こうだろ」
私は小声で返して、窓口の透明板を拭く。
私の補佐エージェントは父だ。画面の隅に、粗い解像度の横顔が出ている。生前、町工場で旋盤を回していた人で、今も言い方だけが職人のままだ。
『その拭き方、ムラが出る。客はムラに不安を感じる』
「窓のムラでデータが戻る戻らない決まるなら、世話ないよ」
『世話ない世の中じゃないから言ってんだ』
次の客が来た。小さな段ボール箱を抱えた女の人。箱の側面に、昔の宅配伝票みたいな紙がガムテで貼られている。
「これ……端末、替えたら、母の声が消えたんです」
箱の中から出てきたのは、折り畳み式のガラケーと、透明な薄板のAR投影レンズ。ガラケーにはキーホルダー、レンズにはサブスクのロゴが光る。平成がごちゃ混ぜになった生活の名残が、掌の上で擦れ合っていた。
「再同期、ですね。代理の連絡先は」
「いえ……私が」
彼女の指先が震える。本人認証は通った。けれど、同期先の“人格スロット”に空きがない。画面が赤く点滅し、冷たい文が出る。
《再同期先: 既存エージェントと衝突。優先順位: 党ドクトリン署名により固定》
『固定、だってさ』と父。
『最近は解読されかけてるって噂だが、現場は固定だ。固定ってのは、壊れないって意味じゃない。動かないって意味だ』
「衝突って……どういう」
彼女が言う。
私は言葉を選ぶふりをして、端末のログを覗いた。彼女の母の人格が、どこか別の内閣ユニットの判断補助に“一時転用”されている。倫理検査の時期でもない。勝手に引き抜かれて、勝手に戻っていない。
窓口の上に、AR広告がふわりと浮いた。誰に向けたものか、きっと私にだ。
《あなたの近親人格、適正配分されていますか? 無料診断》
《差分断片提出で、あなたも制度を更新》
「……悪い冗談だな」
父の声が低くなる。
『提出しろ。差分断片ってやつ。こういうのは、現場が書かなきゃ直らん』
「でも、閣議に届くまで何層もある。しかも署名が——」
『署名は党のやつだろ。半分公然と解かれてるなら、半分は通る』
群ロボットが壁際でいっせいに停止した。合図音が鳴って、次の搬送ルートが切り替わる。機械は滞りなく、私たちの滞りだけが目立つ。
私は窓口の引き出しから、手書き領収書の束を出した。紙の感触が、指先にだけ“現実”を残す。
「これ、いまの手数料。……領収書、要ります?」
「はい。紙で」
私はボールペンで日付と時刻を書き、品目欄に「再同期試行・一次」と入れた。印字じゃない字は、ゆがむ。でもゆがみは、誰の責任かが見える。
その裏に、私は短く書いた。
「差分断片:近親人格の無断転用の停止。再同期衝突の優先順位を本人意思に」
父が言う。
『宛先は?』
「第0x……いや、適当な内閣ユニットでいい。どうせ並行で回ってる」
私は窓口端末から、差分断片の投稿フォームを開いた。署名欄に、いつもなら空欄のまま諦めるところだ。だが今日は、AR広告の無料診断がしつこく点滅している。
《第402ヘゲモニー期・署名互換モード》
私は息を吐き、互換モードを選んだ。父の横顔が、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
『やるじゃねえか』
送信。画面が一瞬、白くなる。
彼女の端末に、通知が落ちた。何かが“戻った”わけじゃない。けれど同期ログの最下段に、今まで無かった行が増えている。
《待機キュー: 近親人格返却要求 受付済》
「受付……された」
彼女の声が、ほんの少し上ずった。
深夜ラジオでは、リスナーの葉書が読まれていた。
「消したいのに消えないものは、たぶん誰かの声です。消えないように、紙に書きました」
私は領収書を彼女に渡した。裏側の文字が透けないよう、折り目をつけて。
「今日の分です。……もし、また衝突したら、ここに持ってきて。紙は、こっちでも残ります」
彼女は何度も頷いて、箱を抱えて帰っていった。
群ロボットが再び動き出し、金属の足音が一定のリズムを刻む。AR広告は、勝手に別の商品の宣伝に切り替わる。
父がぽつりと言う。
『なあ。お前の領収書、字が上手くなったな』
私はペン先を見た。自分の字のはずなのに、払いの癖が父に似ている。
「……再同期、されてんのは、俺のほうかもな」
画面の隅で、父の横顔が少しだけ滲んで、それでも消えなかった。