粉砕機の前で、名札が笑う

──平成0x29A年11月19日 09:40

平成0x29A年11月19日、9時40分。

粉砕ラインの上を、濡れたプラと金属の匂いが流れていく。廃棄・再資源化センターの朝は、いつも洗剤と焦げの中間みたいな臭いだ。

私は仕分け担当で、今日は「個人端末・記録媒体」側。ベルトの脇に置いた触覚フィードバック端末が、一定のリズムで指先を叩く。ピッ、ピッ、ピッ。危険物や要注意タグを拾った時だけ、少し強く震える。

「ほら、手袋替えな。磁粉が指紋に入る」

耳の奥で、父の声がする。私のエージェントは父・諸星武彦。享年63、整備工場の挟まれ事故。いまは胸ポケットの薄いイヤピースに移植されていて、私が迷うとすぐ口を出す。

「分かってるよ」

返事は小声。周りもみんな、誰かとしゃべってる。独り言のふりをして。

入口の検収ゲートが開いて、自動運転シャトルが滑り込んできた。ピカピカの車体に、なぜか「交通安全 2007」みたいな黄色いステッカー。運転席は空っぽで、代わりにダッシュボード上の小さなAR案内が、お辞儀のアニメを繰り返している。

荷下ろし台に積まれたのは、家庭系の廃棄箱。中からまず出てきたのが、MDプレーヤーだった。透明なフタに細かい傷、側面のボタンは「PLAY」「STOP」って物理印字。なのに背面には最新のサブスク受信モジュールが増設されていて、ストリーミングの認証灯が青く点滅している。

父が鼻で笑う。

「平成の亡霊に、平成の増設。律儀だな」

私は端末でタグを読む。指先の振動がいつもより早い。嫌な予感。

画面に、赤い枠。

【権限照合:一致】
【照合対象:あなた(諸星 由里)】
【役割:第0x8C13F内閣ユニット/内閣総理大臣(5分)】
【要求:閣議決定署名—廃棄差分断片 #R-11-19-0940】

「は?」

私は思わずMDプレーヤーを落としそうになって、慌ててベルトの上に戻した。

父が即座に言う。

「触るな。…いや、触ってるな。もう照合通ってる」

端末が、私の指をくいっと引っ張るみたいに震えた。触覚が「ここを押せ」と言っている。まるで、私の手が私のものじゃない。

ゲートの先では、現場監督が紙の点検表にハンコを押している。ハンコの隣に、タブレットでQRを読む係。紙と電子が仲良く喧嘩してる、いつもの朝。

端末に次の通知が滑り込む。

【差分断片内容】
「個人エージェント倫理検査中の代替人格を、廃棄対象として優先回収する」
【党ドクトリン署名:要求】

父の声が低くなる。

「それ、俺みたいなのを“回収”するって話だ」

私は喉の奥が冷えた。ここは廃棄の現場だ。回収という言葉が、再資源化の丁寧さじゃなくて、粉砕機の刃の音を連れてくる。

なのに端末は、さらに親切に震え続ける。

【推奨判断:承認】
【根拠:社会安定最適】

「安定って、何の」

父が、いつもの小言みたいな調子に戻る。

「お前の生活だろ。余計なことはするな」

その瞬間、作業場のスピーカーから深夜ラジオが流れた。昨晩の録音を、誰かが勝手にかけている。

『…今夜のテーマは、“捨てられないもの”。ラジオネーム、粉砕機の恋人さん…』

妙に湿った笑い声が、金属の響きと混ざる。

私は端末を握り直した。触覚フィードバックが、指先を叩く。承認、承認、と。

「父さん」

「なんだ」

「もし私が、いま総理だって言われたら、どうする?」

父は一拍置いて言った。

「総理? 五分だけだ。そんなの、名札が勝手に付け替わっただけだ」

名札。

私は胸の名札を見た。廃棄センターの緑色のやつ。そこに、いつの間にか細い黒字で追記がある。

『第0x8C13F 内閣総理大臣(暫定)』

笑うしかなかった。油性ペンみたいな字で、雑に。

「……誰が書いたの、これ」

父が言う。

「党だろ。あるいは、誰でもいい」

端末が、ぐっと強く震えた。時間切れが近い。

私はベルトの上のMDプレーヤーを見た。青い認証灯が、ラジオの声に合わせて点滅しているように見える。

『…捨てられないものって、案外、捨てる手続きのほうが面倒なんですよね』

私は端末の「非承認」を押した。

指先に、短い痛み。まるでビリッと静電気。

【党ドクトリン署名:不一致】
【閣議決定:棄却】
【理由:署名鍵不整合】

次の瞬間、端末が何事もなかったように静かになった。

【権限照合:終了】

私は息を吐いた。

「通らなかった」

父が、少しだけ笑った気配を出す。

「お前らしい。…で、どうなる?」

それに答える前に、検収ゲートがピッと鳴った。

【権限照合:一致】
【照合対象:自動運転シャトル(車載ノード)】
【役割:第0x8C13F内閣ユニット/内閣総理大臣(5分)】
【要求:閣議決定署名—廃棄差分断片 #R-11-19-0940】

私は、シャトルの無人のフロントガラスを見た。AR案内が、こちらに向かって、もう一度だけ深々とお辞儀をした。

深夜ラジオのパーソナリティが笑う。

『…ま、捨てるのは人じゃなくて、手続きのほうかもしれませんね』

父がぽつりと言った。

「ほらな。総理なんて、車でもできる」

粉砕機が、今日いちばん陽気な音を立てて回り始めた。