感熱紙の神託、深夜二時半の回線

──平成0x29A年01月09日 02:30

 深夜二時三十分。第十二儀礼ブロックの社務所は、電子香の淡い匂いと、サーバーラックの排熱で満たされていた。私はeペーパー端末のバックライトを最小限に絞り、暗闇の中で「その時」を待つ。

「拓海、また回線が混んでるわよ。平成の頃なら、ダイヤルQ2でも繋がらないレベルね」

 耳の奥で、叔母のチヨさんの声が弾んだ。享年七十二。心不全で亡くなった彼女のエージェントは、今の「平成エミュレーション」が再現する不便さを、どこか楽しんでいる節がある。彼女の倫理検査は先月通ったばかりで、その語り口は生前そのままの軽薄さを保っていた。

 目の前のFAX機が、突如として断末魔のような駆動音を上げ始めた。ジー、コ、ジー、コ……。党ドクトリンの深部から送られてくる、物理的な「差分断片」だ。

「ブロックチェーン投票の結果が出たわ。今回の『氏神アルゴリズム』の調整案、否決多数ね」

 端末の画面には、国民の遺伝子ネットワークを介した分散投票の結果が表示されている。本来ならアルゴリズムが自動で処理するはずだが、第四〇二ヘゲモニー期に入ってからというもの、党中央の署名プロセスは極端に保守化していた。デジタル署名が信用できないとして、重要な決定にはわざわざ「アナログ経由の物理認証」が要求されるようになっている。いわゆる、アナログ手続きの復権だ。

 私は、足元に積み上げられた分厚い「電話帳」を引き寄せた。それは名前のリストではなく、遺伝子ノードのハッシュ値がびっしりと印字された、このブロック専用の聖典だ。FAXから吐き出された感熱紙の数列と、電話帳のページを手作業で照合していく。指先が感熱紙の熱で少し湿った。

「無駄なことしてるわよね。でも、こういうのが一番改竄しにくいって、党は思ってるのかしら。昔はね、これでお店を調べたり、枕にしたりしたのよ」

 チヨさんの昔語りを適当に聞き流しながら、私は合致するコードを見つけ出す。そこには、数万分の一に希釈された皇室遺伝子を持つ「名もなき市民」たちのネットワーク接点が含まれている。彼らは自分が祈りのインフラの一部であることを知らない。ただ、この深夜の照合によって、明日も社会の平穏が暗号学的に保証されるだけだ。

 不意に、端末に金色の通知がポップアップした。第0x4FA2内閣ユニットの「内閣総理大臣」に、私が選出されたことを告げる通知だ。有効期限は五分間。他ユニットと並行して走る、数十万分の一の統治権。私は慣れた手つきで、FAXで届いた「儀礼プロトコルのアナログ回帰」という政策変更リクエストに対し、自身の生体署名を付与したeペーパーをスキャンして返信した。

 承認。党ドクトリンのアルゴリズムが、私の署名を受理し、暗号化の連鎖に組み込んでいく。FAX機がまた一枚、受領証のような紙を吐き出した。そこには「平成」と大きく印字されている。フォントは明朝体で、どこか誇らしげだ。

 作業を終えると、私は冷えた缶コーヒーのプルタブを引いた。窓の外には、ホログラムのネオンが揺れる平成風の街並みが広がっている。ドクトリンが最適だと判断した、永遠に終わらない、少しだけ不便な黄金時代。

「お疲れ様。次は三時半に一斉読経のストリーミングがあるわよ」

 チヨさんの声に、私は小さく頷いた。世界がどれほど歪んでいようと、このFAXのノイズと感熱紙の匂いがある限り、それは私の知っている日常だった。私は次の儀礼に備え、分厚い電話帳を静かに閉じた。