標準音声の夜、静かなる棚

──平成0x29A年 日時不明

 足元で駆動音がした。視線を落とすと、円盤型のロボ清掃員がまた同じ場所で回転している。こいつは三〇〇年前の家電を模したレトロデザインだが、中身のAIはさらに古いのか、第四通路の端で必ずスタックする。
「障害物検知。回避ルートを再計算します」
 脳内に響く声は、平坦で抑揚がない。いつもの母さんの声なら『ほら健人、またあいつ詰まってるよ。蹴っ飛ばしてやりな』と笑うところだ。だが、母さんの人格データは三日前から法定倫理検査に出されている。戻ってくるのは来週だ。
 私は無言でロボ清掃員のバンパーを爪先で押し、正しいルートへ戻してやった。

 深夜のスーパーマーケット「ジャスコ・ネオ」の店内には、ひどくノイズの混じった深夜ラジオが流れている。有線放送のデコーダーが古いのか、それとも放送局側の「平成エミュレーション」が過剰なのかはわからない。DJは『ポケベルが鳴らなくて』という曲紹介をした直後に、最新の合成肉の特売情報を読み上げている。時代設定の混線は日常茶飯事だ。

 自動ドアが開き、疲れ切った顔の男性が入ってきた。私はレジカウンターの中に戻る。
 カゴの中身はカップ酒と、レトルトのカレー。そして最後に、男性は胸ポケットからくしゃくしゃになった紙片を取り出した。
「これも頼む」
 差し出されたのはガス検針票だ。ここ第9居住ブロックでは、インフラ料金の支払いを物理店舗で行う慣習が根強く残っている。
「ガス料金、四千二百円になります」
 バーコードリーダーを当てる。ピッ、という電子音と共に、レジのブラウン管ディスプレイにドット文字が表示された。男性は無言で端末に手首をかざし、生体認証で決済を済ませる。
『決済完了。ありがとうございました』
 脳内の代理エージェントが事務的に告げた。母さんなら『この人、先週も酒買ってたね。肝臓大丈夫かね』と余計な世話を焼くタイミングだ。思考のスペースにぽっかりと穴が空いたようで、私は小さく息を吐いた。

 客が去り、再び静寂が戻る。ラジオからは誰かの人生相談が流れているが、雑音でよく聞き取れない。
 品出しの続きをしようとバックヤードへ向かう。従業員通用口のスマートドアに手をかざした。センサーの反応が鈍い。数秒待って、ようやくカチャリと重い解錠音が響いた。このドアも、ロボ清掃員も、そして私の脳内も、今日はすべてが少しずつ遅くて、静かだ。

 代理エージェントは何も言わない。ただ視界の端に、現在時刻と気温の数値だけを淡々と表示し続けている。母さんの口うるさい干渉がない夜勤は、驚くほどスムーズで、そしてひどく味気なかった。
 私は次の台車を押しながら、検査が終わるまでのあと数日を、この静かな標準音声と共にやり過ごすのだと腹を括った。それが規則であり、生活なのだから。