テレカが挟まる日常、誰かの五分
──平成0x29A年05月24日 19:00
俺がこの集合住宅の管理人をして三年になる。旧墨田エリアの十二階建て、築四十年超。エレベーターは一台しかない。
夕方七時、四階の自室で晩飯の支度をしていると、エージェントの父が話しかけてきた。
「創也、今日は自律型バスの時刻変更リクエストが出とったな」
「ああ、そうらしいな」
俺は冷蔵庫から豆腐を取り出しながら適当に返す。父は生前、交通課にいた。死んでからも交通ネタが好きだ。
「あれな、iモードサイトで確認できる経路情報と矛盾しとるんだわ」
「iモード?」
俺は思わず振り返った。父のエージェントは小さな端末画面を俺に見せる。確かにiモード風のUIだ。白黒ドット絵のバスアイコンがちかちか点滅している。
「まあ、平成エミュだからな。仕方ねえよ」
父は黙って頷いた。
食後、住人からの苦情対応をしようと共用廊下に出た。九階の郵便受けが壊れているらしい。エレベーターのボタンを押すと、扉が開く直前、俺のスマホが震えた。
『第0x4A2B9内閣ユニット・内閣総理大臣任命通知。任期: 5分間。署名権限付与。』
「はあ?」
思わず声が出た。エレベーターに乗り込むと、父のエージェントが慌てた声で言う。
「創也、リクエストが三件来とる。全部分散ストレージの冗長化削減や」
「削減って……データ飛ぶだろ」
「党ドクトリンに適合しとる署名やから、承認せんと記録に残る」
俺は九階に着くまでの三十秒で判断しなきゃならなかった。分散ストレージの削減。要するにバックアップを減らせってことだ。
「非承認で」
「了解や」
父の声が落ち着いていた。エレベーターが止まり、扉が開く。
九階の郵便受けは、確かに開閉部が歪んでいた。工具箱を持ってくるのを忘れた。仕方なく一階まで戻ろうとすると、エレベーターの隙間に何かが挟まっているのに気づいた。
テレホンカードだ。しかも未使用。表面には富士山の写真がプリントされている。
「誰が落としたんだ、こんなもん」
拾い上げると、父のエージェントが言った。
「創也、それ、わしのや」
「は?」
「生前、集めとったんや。分散ストレージに保管しとったデータの一部が、さっきの非承認で消えかけてな。物理化されたんやろ」
俺は唖然とした。データが物理化? そんなことあるのか。
「倫理検査、いつ受けたんだよ」
「……三年前や」
「期限切れてんじゃねえか」
父のエージェントは気まずそうに黙った。
その瞬間、スマホが再び震えた。
『任期終了。お疲れ様でした。』
俺の五分が終わった。
工具箱を取りに戻る途中、エレベーターの床にもう一枚、テレカが落ちていた。今度は桜の写真だ。
「父さん、他にも持ってたのか?」
「……五十枚くらいな」
俺はため息をついた。倫理検査、明日予約しよう。