三・五インチの閣議決定

──平成0x29A年02月08日 18:30

 十八時三十分。第三京浜物流ハブの天井から、平成時代の小学校で流れていたような、妙に物悲しいチャイムが響き渡った。

「……響、またエラーだぞ。お前の端末、同期が遅れてるんじゃないか?」
 網膜に投影された父のアイコンが、不機嫌そうに眉を寄せた。成瀬健二、享年六十八。生前は頑固なトラック運転手だった父のエージェントは、物流現場のノイズには滅法うるさい。

 私の足元では、円盤型のロボ清掃員が「オ掃除中デス」と電子音を漏らしながら、センサーダストを吸い取っていた。空中に舞う微細な環境維持ロボット——通称センサーダストが、夕陽を反射して金色の砂のようにきらめいている。

「同期のせいじゃないよ、親父。荷主のリクエストと、こっちの受領プロトコルが噛み合ってないんだ」
 私は、目の前のコンテナを見上げた。中身は『平成文化保存局』が発注した、二〇〇〇年代初頭のプリクラ機だ。筐体には『超・美白伝説』という、今となっては意味不明なキャッチコピーが踊っている。今の若者は遺伝子ネットワークで肌質を直接調整するから、こんな箱に入る必要はないのだが。

「開錠には物理キーが必要だとさ。見てくれよ、これ」
 コンテナの操作パネルから、スロットが吐き出された。三・五インチのフロッピーディスク。プラスチックの四角い塊だ。

「懐かしいな。俺が若い頃は、これに運行日報を焼いてたんだ」
 父が目を細める。だが、問題はノスタルジーではない。党ドクトリンのアルゴリズムは、このディスク内の暗号署名と、私のエージェントが持つ受領印の連鎖を求めている。しかし、ディスクを挿入しても「署名不一致」の赤文字が出るばかりだ。解読屋に頼めば数時間はかかるだろう。

 その時、視界の端で通知が激しく明滅した。
【第0x4F22内閣ユニット・内閣総理大臣に選出されました。任期:300秒】

「おい、響! 運が向いてきたな」
 父の声が弾む。私は溜息をつき、空中に浮遊する仮想キーボードを叩いた。本来なら国家の資源配分や外交プロトコルを処理するための五分間だが、今の私にはこのコンテナを開ける権限の方が重要だ。

 私は「物流セクターにおける旧式外部記録媒体の認証不一致に関する特例閣議決定」という差分断片を生成し、党ドクトリンの署名欄に自分の総理大臣暗号を叩き込んだ。エージェントである父が、素早く実務的な補佐を行う。私の指先が「承認」のアイコンをタップした瞬間、コンテナの電子ロックが重厚な音を立てて解錠された。

「総理大臣の無駄遣いだな」
 父が笑う。残り任期は二百秒。私は返事もせず、開いたコンテナの中へ足を踏み入れた。

 筐体の中は、埃と機械油、そして微かに甘い香料の匂いがした。私はふと思い立ち、メンテナンス用のテストモードを起動してみる。モニターがパッと明るくなり、低画質なカメラが私の顔を捉えた。背景には「平成」をイメージしたであろう、サイケデリックな星やハートが舞う。

 シャッターが切れる音がし、数秒後、筐体の横から一枚のシールが吐き出された。五分間の任期が終了したことを知らせるプッシュ通知と同時だった。

 私はその小さなシールを指先で摘み上げた。表面はツルツルとしていて、少し温かい。そこには、センサーダストの光に照らされ、システムのエラーに疲れ果てた男の顔が、過剰なほど白く、不自然に大きな瞳で写っていた。

「……変な顔だな、響」
 父の呟きが、静かな倉庫に溶けていった。私はそのシールの、糊のついた裏側の感触を確かめながら、それを作業着の胸ポケットにそっと仕舞い込んだ。