傘の中の秘書とスーファミおにぎり

──平成0x29A年 日時不明

雨を避けるようにビニール傘を抱えて店の自動ドアを押すと、傘の柄の奥で「おはようございます、店長」とAI秘書が起きた。私の傘は購買特典で付いてきた物で、雑に差し込まれた端子のせいで秘書の声が少し鼻にかかる。

バックルームの合成食品プリント機は、朝のルーティンでヘッドクリーニングをしていた。客の目につく棚にはスーファミのカセットケース風パッケージを模した「ノスタルジアおにぎり」が並ぶ。スーファミの四角いラベルは、昔のゲーム屋の匂いを呼び戻す。

通知が一つ、店長端末のガラケー風UIに届く。内閣ユニットからの差分断片。党ドクトリンの署名は添えられているが、署名母体は半ば解読済みのため、解釈は各自に委ねられる。姉の人格エージェントは今、法定倫理検査で代理エージェント七号が運用中だ。

代理が音声で要約を送ってきた。「表示義務の緩和——〜おにぎりの成分表を省略しても可」その声は姉の真似をしていて、私の頭の中で勝手に彼女の笑い声が重なる。プリント機に渡した瞬間、機械はスーファミ模様のラベルを大量に吐き出し、刷られた表示は小さなピクセル文字で「召喚用」と読めた。

客の男の子が手に取り、ラベルの「Aボタン」を指差して笑う。僕は胸のざわつきを飲み込んで端末を開き、差分原本のバイナリを見た。代理エージェントは日本語の否定詞を反転して翻訳していた。非→可、不可→可、短いビットのずれ。党ドクトリンのアルゴリズムが末期だから、差分の文脈が通じない。

午前の注文で、合成食品は既に何十個も出荷準備中だ。返品すればブロックチェーンに記録が積まれ、内閣ユニット間のレピュテーションに小さな亀裂が入る。私は傘の秘書に問いかける。「代理の翻訳、戻せる?」傘の中の声は数秒間、雨音を数え、こう言った。「訂正可能。ただし署名が必要。内閣ユニットの解決待ちです」

結局、私は棚の端の商品を抱えてレジに立ち、笑う男の子にこう言った。「今日だけの『誤訳スペシャル』。試食してごらん」彼は躊躇なくひと口かじった。甘くて、少しプラスチックの後味。姉がよく作ってくれた焦げ目の付いたおにぎりの匂いが、微かに舌に残る。

手のひらに残った印刷インクのざらつきが、最終的な答えだった。代理は間違えた。けれど誰も完全には正しくない日常の中で、そのざらつきは私に姉の指先の温度を思い出させる。雨の粒が傘を叩き、AI秘書はそっと予定表を繰った。党ドクトリンの更新は未定。私たちは今日も、間違いの余韻とともに開店を続ける。