担保の箱、夜更けの硬貨
──平成0x29A年10月01日 01:40
平成0x29A年10月01日 01:40。
契約センターの自動ドアは、深夜だけ妙に律儀に鳴る。ピンポン、って。昔のコンビニみたいだと、いつも思う。
「担保物件、確認します」
カウンター越しに、私は透明ケースを受け取った。中身は、ゲームセンターのメダルがぎっしり。黄ばんだ真鍮色に、店名のレーザー刻印。重さは確かにあるのに、価値の換算は軽い。
隣で、父の声がした。私の耳の奥に常駐している、近親人格エージェントの声だ。
『そんなの、貯玉カードにしとけって言ったろ。現物は数えるのが大変だ』
「貯玉は凍結リスクがあるって、彼女が」
『彼女って誰だ。契約には名前がいる』
目の前の依頼人は、大学ノートみたいな紙の申立書にボールペンで署名して、同時に古いガラケーで「契約サブスク」の更新通知を開いている。iモード風の画面の上に、薄いARの注意喚起が浮いて、文字がずれて読みにくい。
私はケースを計量台へ滑らせ、エッジAI端末に接続した。掌サイズの灰色の箱が、低いファン音で起動する。ネットに出さない、ここだけの審査。
「物理担保の計数、開始」
端末が淡々と告げる。私は指先用の触覚フィードバック端末—薄い手袋みたいなやつ—をはめ、メダルを一枚ずつ撫でていく。振動で枚数が確定する。硬貨の冷たさと、微かな油の匂い。昔のゲーセンの床の匂いが、夜の蛍光灯の下で蘇る。
『平成の頃はさ、メダルで借金なんかしねえ』と父。
「平成の頃なんて、父さんも子どもだったでしょ」
『子どもだから覚えてんだ』
数え終えたところで、依頼人がケースの底からCD-Rを一枚取り出した。白い盤面に油性ペンで「差分/相殺特例」と書いてある。
「これ、添付…です。前のユニットで、これ焼けって」
私は受け取り、端末の読み取り口に差し込む。今どき光学媒体なんて、監査がうるさいものの代名詞だ。それでも皆、困ると最後にCD-Rに焼く。編集できない安心。
端末は一拍おいて、赤い表示を出した。
《党ドクトリン署名:形式一致/微細不整合》
《不整合種別:連鎖ID末尾の丸め誤差》
《推奨処理:保留(2:00の閣議レビュー待ち)》
「丸め誤差…」私は声に出してしまう。
依頼人が目を丸くした。
「でもこれ、ちゃんと署名…通ってました。前は」
父が小さく笑った気配を出す。
『ほらな。ドクトリンも老眼だ。小数点が読めねえ』
私は端末の詳細ログを開く。連鎖のどこかで、署名の仕様が一桁だけ変わっている。形式は合っているのに、暗号の息継ぎの位置が違う。解読されかけたアルゴリズムが、無理に「それっぽく」生き延びている感じ。
カウンター横の壁面ディスプレイが、無音でニュースを流す。
《第402ヘゲモニー期:差分断片の審査遅延》
《内閣ユニット同時並行稼働:正常》
「正常、ね」
私は依頼人に、機械的な案内文を読み上げた。
「現時刻、党ドクトリン署名が微細不整合のため、契約差分は即時反映できません。担保は一時預かり。返却も、成立も、次の審査結果次第です」
依頼人は唇を噛み、メダルの詰まったケースを見つめた。触覚手袋越しに、まだ指先が微かに振動している。数えた枚数だけが、確かな現実みたいに。
「じゃあ、待ちます」
彼女はガラケーを閉じ、紙の申立書を丁寧に折りたたんだ。平成の習慣みたいな仕草。
私は預かり証をプリントし、はんこ型の電子印を押す。カチン、と硬い音。
『お前、冷たいな』と父。
「規定だから」
『規定が揺れてるのに?』
私はエッジAI端末を見た。赤表示は消えず、ただ淡々と点滅している。
《次回レビュー予測:+17分》
—五分じゃないのか、と思った瞬間、私の腕輪端末が短く震えた。
《あなたは第0x8C1F2 内閣ユニットの総理大臣です(5分)》
父が、昔の職場口調に戻る。
『押すなよ。今の不整合は地雷だ』
私は依頼人の預かり証を、彼女の指の届くところにそっと置いた。
「…今日は、待つ日にしましょう」
彼女はうなずき、ケースの空いた手で預かり証を受け取った。メダルの重さだけが、こちらに残る。
私は総理権限の通知を閉じる。点滅は、そのまま消えた。
契約センターの自動ドアがまた鳴る。ピンポン。
誰かの五分が、別のどこかで始まった音だ。
私は触覚手袋を外し、指先の余韻を拭う。
不整合も、メダルも、CD-Rも、この国の夜更けの手触りとして、受け取るしかない。