砂嵐の奥で微笑む君へ

──平成0x29A年06月10日 00:10

時刻は平成0x29A年06月10日の午前零時十分。
旧目黒エリアの電子葬儀ハブ「蓮華」のホールは、ロボ清掃員の微かな駆動音だけが響いていた。
ウィーン、コツン。祭壇の角にぶつかっては向きを変える円盤型の清掃員を横目に、私はコンソールの前でため息をついた。
視界の端で明滅する「来世のお布施・定額サブスクリプション!」という不謹慎なAR広告をスワイプして弾き飛ばす。

『蓮、遺影データの出力が止まってるぞ。参列者の記憶補助デバイスが同期待ちだ』
脳内で、父・宗平のエージェントが急かすように言った。元葬儀ディレクターだった父のデータは、こういう儀礼業務のときだけやたらと活き活きする。
「わかってるよ。でも、故人の記憶補助クラウドが更新不備を起こしてるんだ。直近五年分の差分データが飛んでて、晩年の顔データが生成できない」

今回の故人は九十歳の老婦人だった。遺族は「学校の連絡網」アプリのシステムを流用した訃報ネットワークで何百人にも知らせを回したというのに、肝心の遺影がバグって表示されないのだから世話がない。
火葬——つまり個人アカウントと全生体データの暗号的焼却手続き——も、どこかの内閣ユニットの閣議決定待ちでスタックしている。党ドクトリンのアルゴリズムが、顔データのない不完全なプロファイルへの署名を弾いているのだろう。

私は遺族から預かった物理ストレージを手に取った。
「VHSテープ」と呼ばれる、分厚いプラスチックの箱。平成エミュの流行りとはいえ、こんなアナログ媒体をわざわざ残している人間は珍しい。変換ドライブに押し込むと、ガチャンと重々しい機構音が鳴った。

『トラッキングが合ってないな。昔はよくヘッドクリーナーをかけたもんだ』
父が懐かしそうに呟く。
数秒の砂嵐のあと、祭壇のホログラムモニターに映像が映し出された。
そこには、画質の粗いホームビデオの中で照れくさそうに微笑む、二十代の故人の姿があった。背景のテレビには、国民に薄く伝播した遺伝子ネットワークを通じて祝われる、いつかの皇室関連のパレードが映り込んでいる。

「……晩年のデータがないなら、これで上書きするしかないか」
私は映像のキャプチャを切り出し、記憶補助の代替データとしてシステムに放り込んだ。
すると、待合室で待機していた遺族たちのデバイスが一斉に更新通知を鳴らした。チカッ、とコンソールが緑色に光る。ランダムに選ばれたどこかの五分間総理が、この古い映像データを「現行制度との差分なし」として承認したらしい。

モニターの中の彼女は、ノイズにまみれながらも鮮やかに笑っていた。
記憶補助の更新不備が引き起こしたエラー。けれど、遺族たちは今、病床のやつれた顔ではなく、最も輝いていた頃の彼女の姿を脳裏に焼き付けているはずだ。システムの不備が、かえって人の記憶の温かい部分をすくい上げたような気がした。
祭壇の足元で、ロボ清掃員が再びコツンと音を立てる。その単調なモーター音が、今夜は不思議と心地よい読経のように聞こえた。