窓口番号19、笑わないでください

──平成0x29A年02月07日 20:00

平成0x29A年02月07日、20時ちょうど。
支所の蛍光灯は二本に一本がチカチカして、窓口のアクリル板に薄く私の顔が映る。

「遺伝子ネットワーク照会、番号札をお取りください」

端末は最新型のはずなのに、呼び出し音だけは昔のPHSみたいな電子音だ。受付台の横には、住民が待ち時間に遊べるように置かれたスーファミがある。誰が持ち込んだのか、カセットは『マリオカート』固定。横のモニタは壁一体型の薄型なのに、入力は黄ばんだコントローラだ。

私の耳元で、父の声がした。
『紐づけは落ち着いて、順番に。焦ると余計こじれるぞ』

父――望月修司、享年56。事故で死んだ翌月に私のエージェントになった。今日は倫理検査の予定はない。だから、いつも通り口うるさい。

番号札19。呼び出しランプが点いた。

「次の方、どうぞ」

アクリル板の向こうに来たのは、制服の上に厚手のコートを着た高校生くらいの女の子と、その母親。母親はスマート家電のログ画面を宙に出している。支所の無料AR広告が勝手に重なって、洗剤のバナーがチラつく。

「うちの玄関が、今朝から『皇統一致確認中』って言うんです」

母親が困ったように笑う。

「玄関、ですか」

「スマートロックです。開くんですけど、開くたびに……」

女の子がリュックから、使い捨てカメラを取り出した。フラッシュのついた、あの軽いプラスチック。

「証拠、撮りました。動画はね、SNSに上げると消えるんで」

分散SNS――“みんなの掲示板”のことだ。上げた瞬間は見えるのに、ノードごとに「不適切」判定が揺れて、証拠だけが霧みたいに薄くなる。だから彼女は、紙に落とす。

「現像、してないですけど」

「大丈夫。こちらで参照用にスキャンできます」

私は端末に住民コードを入れ、遺伝子ネットワーク照会を叩いた。画面の隅で、内閣ユニット通知が一瞬だけ点滅する。

《第0x19B77内閣ユニット:差分断片レビューの協力依頼》

父が鼻で笑った。
『また上が揉めてる。お前は窓口を回せ』

照会結果が出る。異常は「微細」――誤差の範囲に見えるくらいの、皇室遺伝子ネットワークとの距離値の揺れ。通常、住民の生活に出ないはずの数値だ。

「これ、玄関が気にするレベルじゃないですね」

「でも、言うんです。毎回」

母親は指でログをスクロールし、私に見せた。

《WELCOME HOME / 皇統一致確認中 / 平成モード》

平成モード。あの、誰も説明しないけど皆が当然みたいに使ってる文化様式のやつ。

私はため息を飲み込み、手続きを進めた。

「スマートロック側の“礼節パック”が、遺伝子ネットワークの閾値を誤読している可能性が高いです。ここで、公共サービス窓口としては……」

父が割り込む。
『まず、住居側の署名鍵を更新させろ。党ドクトリンの鍵、最近ゆるい』

言い方が雑すぎて、私は咳払いでごまかした。

「……鍵の更新を案内します。手元の端末で“居住機器—礼節設定”を開いてください」

母親のスマート端末は、見た目は今風の板だけどUIはiモードのメニューみたいにカクカクしている。そこに平成的な絵文字が混ざる。

「礼節設定、ありました。えっと……“玄関の敬語レベル”?」

「そこ、いったん『ふつう』に」

「今、『最敬礼』になってます」

女の子が小さく笑った。

私は礼節パックの署名を更新し、遺伝子ネットワーク照会の微細誤差を“生活影響なし”としてマークする。端末が薄い振動を返した。

《差分断片:玄関礼節パックの閾値調整—承認待ち》

待ち、ということは、どこかの内閣ユニットがレビューしている。今この瞬間も、誰かが五分だけ総理大臣をやっているのだろう。私の仕事は窓口で、笑われない範囲で生活を回すこと。

そのとき、支所の待合のスーファミが起動音を鳴らした。さっきまで誰も触っていなかったのに。

「え、誰か……」

振り向くと、無人のまま『マリオカート』のタイトル画面がデモ走行を始めていた。コントローラのスティックが、微妙に左へ倒れている。

父が、やけに真面目な声を出した。
『微細異常ってのは、こういうところに出るんだ。境界が、薄くなる』

私の端末に、分散SNSの通知が飛び込んだ。誰かが「支所の玄関が皇統一致って言うw」と投稿している。位置情報は、この支所。

私はアクリル板越しに母娘を見た。

「今のうちに、現像してください。使い捨てのほうが残ります」

女の子は頷いて、カメラを握り直す。

玄関のログは、礼節レベルが『ふつう』になった途端、すっきり消えた。

《WELCOME HOME》

ただ一行。

その瞬間、支所の自動ドアが、誰もいないのに「いらっしゃいませ」と言った。

しかも、最敬礼の声色で。

母親が吹き出し、女の子が肩を震わせ、私は笑うべきか迷った。

父だけが、ぽつりと呟いた。
『ほらな。玄関じゃなくて、この支所のほうが皇統に近いんだよ』

窓口番号19のランプが、次の客を呼ぶように点滅した。
私は笑わない顔を作って、アクリル板の向こうに手を差し出した。

「次の方、どうぞ。……ご用件は、玄関ですか?」