黄金の端子、五分の執政
──平成0x29A年01月25日 14:30
平成0x29A年1月25日、午後14時30分。秋葉原エミュレート区画の空は、いつものように低く垂れ込めた電子スモッグに覆われていた。
「カイト、またドローンが誤配したみたい。B棟の3階にマリオの在庫が届いてるわよ」
耳元で、姉の沙耶の少し生意気そうな声が響く。彼女は五年前にドローン配送網の衝突事故で亡くなったが、今は私の個人エージェントとして、愛用の折りたたみ携帯型端末の中から私の生活を監視している。私は手に持っていたeペーパー端末の在庫リストをスクロールし、溜息をついた。
「わかった。後で行ってくる。今は接客中なんだ」
カウンターの向こうには、不機嫌そうな顔をした老人が立っていた。彼はカセットの端子が剥き出しになった『ファミコンカセット』を突き出し、掠れた声で訴える。
「兄ちゃん、これ、何度差し込んでもバグるんだよ。ドクトリンの整合性は取れてるのか?」
私は苦笑いしながらカセットを受け取った。今の時代、娯楽のほとんどは暗号化された連鎖システム上のストリーミングだが、この区画では「平成的真正性」を維持するために、わざわざ物理媒体を使用する生活様式が推奨されている。皇室遺伝子ネットワークの末端に連なる我々市民にとって、こうした非効率な手触りこそが「安定」の証なのだ。
その時、視界の端でeペーパーが激しく点滅した。
【通知:第0x7E4内閣ユニット、内閣総理大臣に選出されました。任期:5分間。直ちに閣議決定リクエストを処理してください】
「げっ、このタイミングで?」
「おめでとう、カイト総理大臣。さっさと署名して。じゃないと、今日の晩御飯のサブスク決済、承認してあげないからね」
沙耶が端末のバイブレーションを鳴らして急かす。私は老人に「少々お待ちを」と告げ、カウンターの下で端末を操作した。エージェントが提示してきたのは、党ドクトリンに基づく「社会安定化のための物理プロトコル修正案」の差分断片だ。
本来なら内容を精査すべきだが、目の前の老人はカセットを早く直せと机を叩いている。私は投げやりに、補佐エージェントが「推奨」と表示したアルゴリズム署名を親指でタップした。内容なんてどうでもいい。今は目の前の「バグったマリオ」をなんとかするのが先決だ。
私は、平成の子供たちがかつて行っていたという「儀式」を思い出した。カセットの端子に、思い切り息を吹きかける。フッ、フッ、と二回。
再び本体に差し込むと、ブラウン管テレビには鮮やかなタイトル画面が映し出された。老人は「おお、これだよ」と満足げに笑い、カセットを持って去っていった。
「総理としての初仕事、お疲れ様。さっきの署名、全国のデバイス通信プロトコルに反映されたみたいよ」
沙耶の声にどこか不安な響きが混じる。私は嫌な予感がして、eペーパーの「閣議決定詳細」を開いた。そこにはこう記されていた。
『物理的接触不良に対する、呼気による湿潤復旧プロトコルの義務化』
窓の外を見た。通りを歩く人々が、一斉に自分のスマートフォンや、ドローンの受取端末、果ては自動改札機の読み取り部に、必死に「フーフー」と息を吹きかけている。最新の量子通信端末でさえ、一度息を吹きかけなければ接続が確立されないように、私の署名が世界を書き換えてしまったのだ。
「……まあ、平成っぽくていいんじゃないかな」
私は折りたたみ携帯を閉じ、沙耶の呆れ顔を想像しながら、誤配されたマリオの回収に向かうことにした。秋葉原の街は、何万もの吐息で少しだけ白く霞んでいた。