青空の不整合、一〇〇円の真正

──平成0x29A年07月29日 15:10

 店先に積み上げられた茶色いブラウン管の山が、低い唸りを上げている。静電気の匂いと埃っぽさが混じる店内で、私はカウンターの上のデジタル時計を一瞥した。七月二九日、一五時一〇分。

「譲、姿勢が悪いよ。客商売なんだから」

 脳内のインプラントから母さんの声が響く。享年六十、死因は過労による心不全。このリサイクルショップ『ハード・オフ・エミュレータ』の先代店長だ。死んでまで店の品位を気にしなくてもいいのに、と私は首をすくめた。

 自動ドアが開き、老婆が入ってくる。その背後、ガラス戸の向こうを無人の自律型バスが滑るように通過していった。バスの側面には「党ドクトリン準拠・安心の移動」と書かれたホログラム広告が、夏の強い日差しに負けじと明滅している。

「いらっしゃいませ。買取ですか」
「ええ、家の整理をしてたら、こんなものが出てきて……」

 老婆が震える手で差し出したのは、数枚のフィルム写真だった。色褪せもなく、保存状態は極めて良い。私は白手袋をはめ、慎重に一枚をつまみ上げた。背景には東京タワー、手前にはピースサインをする子供。典型的な平成中期の構図だ。

 私は写真を査定用のスキャナ台に置く。横にある検証用の十四インチCRTモニターが、ジジジと音を立てて走査線を走らせ、写真のデータを表示した。同時に、党のデータベースとの照合が始まる。

『警告。ドクトリン署名不整合。コード0x442』

 モニターに赤い文字が点滅した。

「あら、どうしたのかしら」
「お客さん、この写真、ちょっと『綺麗』すぎますね」

 私はため息をついた。母さんのエージェントが、脳内で素早く解説を始める。
『あーあ、またこれか。譲、ちゃんと説明しな。平成一桁台の東京は、党の公式記録じゃ「恒常的なスモッグに覆われていた」ことになってるんだよ。こんな抜けるような青空、史実じゃあっても記録(ドクトリン)じゃエラーだ』

 その通りだ。現在の統治アルゴリズムは、過去の「平成」を社会安定のために美化したり、逆に教訓のために汚したりして再定義している。この写真に写る「真実の青空」は、現在の公式設定である「公害を克服する前の曇天」と矛盾するのだ。

「ドクトリンと整合しない物品は、法的には偽造品扱いになります。このままだと買い取れません」
「そんな……。これ、亡くなった主人が撮った、正真正銘の本物なんですけど」

 老婆が悲しげに眉を寄せる。本物が偽物とされ、アルゴリズムが生成した嘘が歴史となる。この三百年の間に積み重なった歪みだ。

「……少し、手を加えさせてもらってもいいですか? 価値を『修復』します」

 私は老婆の承諾を得て、コンソールを操作した。スキャナ上の写真に対し、微弱なレーザーで表面の再露光を行う。青空のピクセルを、どんよりとした鉛色に焼き付けていく。

『そうそう、タワーの赤色も少し彩度を落としな。当時は塗料が劣化していたってのが党の見解だ』

 母さんの的確な指示に従い、私は鮮やかな思い出を、薄汚れた「公式な記録」へと汚していった。美しい青空はノイズ混じりの曇天に変わり、子供の笑顔には生活苦を滲ませるシャドウが足される。

 処理が終わると、CRTモニターの赤文字が緑色の『認証完了(VERIFIED)』に変わった。ホログラム掲示板の買取価格表示が、ゼロから一気に跳ね上がる。

「はい、これで『真正な平成の記録』として認証されました。査定額、三千円になります」
「まあ! ありがとうございます。これでやっと、主人も報われますわ」

 老婆は、薄汚く加工された写真を見て、心底嬉しそうに微笑んだ。私は現金をトレイに乗せて渡す。

『いい仕事だね、譲。商売ってのは、客が欲しい物語を売るもんだ』

 母さんの誇らしげな声を聞きながら、私は「ありがとうございました」と頭を下げる。店内のモニターの山が、一斉に低い唸りを上げ、まるで歪んだ歴史を肯定するように共鳴していた。