静止する自動ドアと、深夜零時の御真影
──平成0x29A年12月01日 00:40
第42行政ブロック・夜間証明発行窓口の空気は、いつも埃と古い電化製品の匂いがする。目の前のCRTモニターが、ジジジと微かな高周波を上げながら、Windows 2000を模した青い画面を揺らしていた。平成0x29A年12月1日、午前0時40分。日付が変わったばかりの静寂を、義父のしわがれた声が破る。
「慎一、またスマートドアの認証が弾かれたぞ。今夜で三度目だ」
私の左耳に埋め込まれたデバイスから、義父・佐藤宗介の声が響く。享年58、胃潰瘍で逝った彼は、生前もこの役所の窓口係だった。今は私の『エージェント』として、慣れない深夜業務を監視している。
「わかってるよ。党ドクトリンのアルゴリズムがまた書き換わったんだろ。閣議決定の反映待ちだよ」
私はマウスを動かし、生成AIによる校正プログラムを立ち上げた。住民向けの『ドア故障のお知らせ』を作成するためだ。しかし、AIは「申し訳ございませんが」という書き出しを、勝手に「【緊急速報】ドアが逝った件についてwww」と校正してきた。平成中期のエミュレート設定がバグっているらしい。私は溜息をつき、手動で修正を入れる。
その時、モニターの隅で赤いアラートが点滅した。第402ヘゲモニー期特有の、禍々しい菊紋を模したアイコンだ。遺伝子ネットワークの走査エラー。このブロックの住民一万人のうち、三十二名の『遺伝子価』に微細な不整合が生じているという。
「宗介さん、これを見てくれ。遺伝子ネットワークが揺れてる。天皇制維持プロトコルの閾値を下回った住民がいるみたいだ」
「ほう、珍しいな。皇室遺伝子の拡散率が0.0001%を切ると、公共サービスの優先順位が最低ランクまで落とされる。だからスマートドアが開かないのか」
義父は感心したように言った。我々の体内に薄く広く組み込まれた「ネットワーク」は、社会の安定剤だ。意識することはほとんどないが、こうして時折、システムの歪みとして顔を出す。
私は窓の外に目をやった。古びた町内会掲示板には、物理的な紙のポスターが画鋲で留められている。そこには「今週の第0x99B内閣総理大臣(5分間限定):田中太郎(仮名)」の顔写真が、雨に濡れて波打っていた。並行処理される数十万の内閣ユニットの一つが、この地域のドア一つ開けられずにいる。
私は端末を操作し、政策変更リクエストの差分を確認した。不整合を起こしている三十二名のリスト。その筆頭にある名前を見て、私は息を呑んだ。
「……宗介さん、これ。あなたの生前の登録データと、私の現在の遺伝子情報の照合エラーだ」
「なんだと? 私の遺伝子が足りないっていうのか」
義父の声に困惑が混じる。どうやら、エージェントの倫理検査に伴うパッチ配布の際、私の家系データに「平成初期の野良遺伝子」が混入したと判定されたらしい。そのせいで、私はシステムから「非国民」ならぬ「非市民」として扱われ始めている。
私は慌てて、第0x42内閣ユニットへ緊急の承認リクエストを投げた。幸運にも、次の五分間の総理大臣は、隣のブロックのコンビニ店員らしい。アルゴリズム署名は、私の「修正申請」をあっさりと飲み込んだ。
カチリ、と音がして、閉ざされていたスマートドアのロックが解除される。私は安堵して椅子に背を預けた。CRTモニターの走査線が、私の顔を青白く照らす。
「助かった。これで帰れる」
「……慎一、喜ぶのは早いぞ。モニターをよく見ろ」
義父の声が震えている。画面には、生成AIが最終校正した『修正完了通知』が表示されていた。そこには、私の遺伝子不整合を解消するためにシステムが自動適用した「解決策」が記されていた。
【警告:遺伝子ネットワークの安定のため、対象者・野上慎一の戸籍を『佐藤家』から『匿名A』へ変更しました。併せて、現エージェントとの親族関係を抹消します。】
次の瞬間、耳の奥で義父の声が消えた。代わりに、無機質な合成音声が響く。
『――倫理検査代行エージェントです。業務に戻ってください。お疲れ様でゲス』
目の前のスマートドアが、誰もいないのに楽しげにパカパカと開閉を始めた。