カウンターの裏、忘れられた回数券
──平成0x29A年12月07日 00:00
俺は今夜も、第14娯楽ブロックのボウリング場「エターナルレーン」でカウンター係をやっている。午前零時を過ぎたばかりで、客はまばらだ。
カウンターの端末が、軽い振動とともに合成音声を流す。
「ご来場のお客様へ。ポイント付与システムの近傍通信タグ読み取りを開始いたします。カード型タグをお持ちの方は、カウンター前のリーダーへかざしてください」
俺は内心で舌打ちする。また例の「非公式ルール」だ。
公式には、ポイントは端末の脳波UIで自動記録される。だが、ここでは紙のポイントカードとタグの併用が慣習になっている。理由は簡単で、脳波UIは誤作動が多いからだ。客の中には「ポイントが消えた」と騒ぐ者もいる。だから店長の判断で、物理カードとタグを配り、手動でスタンプを押している。
俺の折りたたみ携帯が震える。母からだ。
『潤、今日も遅いの? 体調管理はちゃんとしなさいよ』
母のエージェントは、俺が中学生の頃に亡くなった実母の人格だ。享年48、交通事故。生前と同じく、心配性で口うるさい。
『大丈夫。今夜は静かだから』
俺は短く返信し、携帯を閉じる。
その時、カウンターに一人の男が近づいてきた。40代くらいで、少し疲れた顔をしている。
「すみません、これ使えますか?」
男が差し出したのは、見覚えのある紙のポイントカードだった。だが、そのカードには「第12娯楽ブロック」の印字がある。ここは第14だ。
「申し訳ございません。こちらはブロックが違うので……」
俺がそう言いかけると、男は少し困ったように笑った。
「そうですよね。でも、このカード、もう5年くらい使ってないんです。引っ越して来てから、ずっと持ち歩いてて」
俺は少し考える。公式には、ブロック間のポイント互換性はない。だが、非公式には、店長が「まあいいか」と通してしまうこともある。客を逃したくないからだ。
俺は端末を操作し、近傍通信タグのリーダーをアクティブにする。
「一応、タグの読み取りだけ試してみますね」
男がカードをかざすと、リーダーが微かに光る。だが、端末には「ブロック不一致」の警告が表示される。
「やっぱり無理ですね」
俺はそう言いながら、カウンターの下を見る。そこには、以前の店長が置いていった古い回数券の束がある。磁気ストライプ式で、もう何年も使われていない。
俺は思いついて、その回数券を一枚取り出す。
「これ、使ってみますか? 古いシステムですけど、まだ機能するはずです」
男は少し驚いた顔をしたが、頷いた。
俺は回数券を端末に通す。合成音声が再び流れる。
「回数券を確認しました。ご利用ありがとうございます」
男は安堵したように笑った。
「助かります。ありがとう」
男が靴を借りてレーンへ向かった後、俺は折りたたみ携帯を開く。母からまたメッセージが来ている。
『潤、ちゃんと規則は守りなさいよ』
俺は苦笑する。母のエージェントは、俺の行動を監視しているわけではない。ただ、俺の性格を知っているだけだ。
俺はカウンターの下を見る。回数券の束は、まだたくさん残っている。公式には使われない、非公式には重宝される、そんな「忘れられた仕組み」だ。
ふと、端末の画面に新しい通知が表示される。
「第14娯楽ブロック内閣ユニット第0x3A7Cより通達。ポイントシステムの統合化推進について、各施設の意見を募集します」
俺は通知を閉じる。また「公式」が変わるのだろう。だが、ここでは「非公式」が優先される。それが、この場所の回し方だ。
カウンターの裏で、回数券の束が静かに眠っている。俺はそれを見ながら、次の客を待つ。