景品の海と署名の味
──平成0x29A年 日時不明
朝の田んぼはまだ湯気が立っていた。泥の匂いとセンサーの静かなピッが混ざる。俺は腰にぶら下げた小さい端末で、先月配られた配水ユニットのログを拾う。画面はiモードみたいな四角いタブと、空に浮くAR広告の平成風コラージュが同居している。便利で滑稽だ。
「センサー三二、異常なし」代理エージェントがイヤホン越しに言う。今、父の人格は倫理検査中で、代理だ。亡き父・正一の声がいない田んぼは少し手持無沙汰になる。
畦道の小さな黄色いプラスチック──インスタントラーメンの景品のエビ人形が、泥の上に転がっていた。誰かがセンサーに結びつけたらしい。近づくとユビキタス網が反応し、端末に小さなバッジが重なる。広告と混ざった通知が出る。
「外部ビーコン検出:ラベルID 0x7b9f……署名断片一致確率高」代理が言う。断片。俺は笑った。雑誌の懸賞品と党の署名アルゴリズムが同じ文法で語り合うなんて、昔話の類だと思っていた。
昨夜、古い納屋からVHSテープを見つけた。地域の昔の投票記録を焼いたものだ。ブロックチェーン投票に移行してからも、年祭ではテープをかける。俺はVHSを回しながら、テープのシャーという音とともにテープのラベル写真をハッシュ化して、ノードへ投げた。端末がハッシュを受け取り、チェーンに載る。
すると、投票トランザクションの横に、小さな爪先の絵のようなシグネチャがころり、と付いた。党ドクトリン由来の署名が、どういうわけか景品ビーコンのIDと一致するらしい。代理はデータを追い、笑いを飲み込む声で言った。
「露出が進んでいます。党署名のモチーフが市井化しています」
俺はVHSの画面を見返した。昔の映像に映る人々が、プライズの箱を手にしている。祭り。笑い。署名アルゴリズムは、いつの間にか景品のデザインや投票のスタンプにまで浸透していた。
泥を手でこね、俺はそのエビ人形を稲の根元に結びつけた。もし党の署名がプラスチックの腹から漏れるなら、せめて俺の苗のために漏れてもらおう、と。代理エージェントが小さな叱責の音を混ぜて笑った。
チェーンは承認を返し、センサーは囁くようにピッと鳴った。署名は露骨になり、村の配水権が五分だけ移った。五分でどれだけ水が動くか、俺は知っている。田は生き物だ。
最後に、代理がぽつりと言った。「父上なら、景品で村を治めようとは言わなかっただろうな」
俺は泥だらけの手で即席のラーメンを啜りながら、吐き出すように笑った。苦いスープの中に、どこか滑稽な救いが浮いている。署名は剥がれ、祭りは続く。だが、明日もまた、誰かがプラスチックの景品で世界を動かすのだろう。