赤い丸と黒い点のあいだ

──平成0x29A年07月03日 13:50

ベルトコンベアが運んでくるのは、かつて賢かった家電の死体だ。
俺は電動ドライバーを手に、スマート冷蔵庫の背面パネルをこじ開ける。基盤、コンプレッサー、冷却ユニット。手慣れたもんだ。隣のブースでは、大型の3Dプリンタが再生ケースを静かに出力している。ウィーン、という低いモーター音だけが響く。

いつもなら、兄貴が口を挟んでくるタイミングだった。

『淳、その基盤、メモリチップだけ剥がせばまだ使えるぜ』

網膜に直接テキストが浮かぶ。あの、少しぶっきらぼうな口調で。
だが、今日は静かだ。兄貴のエージェントは先週から法定倫理検査に入っている。
視界の隅にあるはずの、兄貴の小さなアイコンがないだけで、作業場はがらんとして見える。

壁に貼った紙のカレンダーに目をやる。七月のページ。先週の日付に「検査開始」と殴り書きしてある。その隣には、赤い油性ペンで丸をつけた日付。兄貴の命日だ。もう五年になる。

腰につけたポケベルが、甲高い電子音で鳴った。
ピピピ、ピピピ。
ディスプレイに表示されたのは「084」。管理室からの呼び出しコードだ。
俺はドライバーを置き、油の染みた手袋を脱いで、コンベアがひっきりなしに動く通路を抜けた。

管理室の担当者は、気の毒そうな、それでいて事務的な顔で俺を見て、一枚の電子ペーパーを手渡してきた。
「黒田さん。……残念ですが、通知です」

ディスプレイに表示された無機質な明朝体の文字列を、俺はゆっくりと目で追った。

件名:人格エージェントの機能停止に関する通達
対象:黒田 悟(識別番号: AGT-7B3C-0A1D)

『法定倫理検査の結果、対象エージェントに人格維持の継続性における重大な乖離が確認されました。よって、党ドクトリン第402-B項に準拠し、本日13時50分をもって、対象エージェントの全機能を永久停止します』

永久停止。

事実上の、二度目の死だ。
担当者は何か言いたそうに口をもごもごさせていたが、俺は何も言わずに会釈だけして、その場を離れた。

作業場に戻ると、俺の持ち場には次のスマート洗濯機が運ばれてきていた。白い筐体が、解体されるのを静かに待っている。

兄貴は、生きていた頃、よくバイクをいじっていた。油まみれの手で笑っていた。
エージェントになってからも、その知識は俺の仕事に役立っていた。いや、それ以上に、ただ視界の隅にアイコンがあるだけで、一人じゃないと思えた。
もう、あの声は聞こえない。あのテキストは表示されない。

俺は再び手袋をはめ、電動ドライバーを握った。
壁のカレンダーが目に入る。
命日の赤い丸。検査開始の殴り書き。
俺はポケットからボールペンを取り出すと、今日の――七月三日のマスに、小さく、黒い点を打った。

何も変わらない。世界は回り続ける。コンベアは家電の死体を運び続ける。

俺はただ、洗濯機の裏蓋のネジを、一本外した。