大晦日のゲートは自腹で開く

──平成0x29A年12月31日 19:30

平成0x29A年12月31日、19時30分。私は第5交通ブロックのモノレール駅で、無人改札口の横に立っていた。

窓の外には、紅白にライトアップされた高層農業プラントが夜空にそびえている。大晦日だというのに、こんな底冷えする場所で立ち仕事だ。
『ほれ駿、気合を入れろ。大晦日は書き入れ時だぞ』
網膜の隅で、祖父・源三のエージェントが腕を組んでいる。元鉄道員で肺炎で亡くなった祖父のデータは、来週の法定倫理検査を控えてテンションがおかしくなっているのか、私の聴覚デバイスに昔の駅の喧騒をノイズとして流し込んでくる。
「今はユビキタスセンサー網で顔パスの時代ですよ、おじいちゃん。書き入れ時も何もないです」
そうぼやいた矢先、目の前の改札機がけたたましいエラー音を鳴らした。
見ると、泥酔した中年男がゲートに引っかかっている。手には分厚いMDプレーヤー。
「お客さん、それは音楽を聴く機械で、ウォレットじゃありませんよ」
「これに入ってんだよ、定期が!」
男が呂律の回らない口で絡んでくる。平成エミュの弊害だ。時折、90年代のガジェットに無理やり暗号ウォレットのチップを仕込む厄介なマニアがいるのだ。
私はため息をつき、首から下げた職員用マスターキーを改札機のリーダーにかざし、男のMDプレーヤーと重ねてエラーを強制解除しようとした。
その瞬間、ユビキタスセンサー網が奇妙な挙動を示した。

『ピーッ。身分照合の混線を検知。第0x7A3B内閣ユニット、内閣総理大臣の権限を承認しました』

は?
私のマスターキーと、男のMDプレーヤー内の改造ウォレットが変に干渉し、私がランダム5分間の総理大臣に誤照合されたらしい。
視界に、党ドクトリンから送られてきた閣議決定の差分断片がポップアップする。
《政策リクエスト:第5交通ブロック全域の運賃ゲートを開放し、特別無料通行とする》
半ば解読されたアルゴリズムが、「年末の帰宅ラッシュによる社会不安の軽減」と勝手に解釈したのだろう。私は単なるエラー解除ボタンを押したつもりだったが、それがアルゴリズム署名として処理されてしまった。

ガシャン、と駅中の全ゲートが一斉に開いた。
コンコースにある電子ペーパー製の町内会掲示板——先ほどまで『天皇遺伝子ネットワークによる新年挨拶パケットは明日0時配信』と表示されていた画面——が、突然『祝・総理決断! 大晦日特別無料開放!』というド派手なテロップに切り替わる。
滞留していた乗客たちが「おおっ」と歓声を上げ、雪崩を打って改札を抜けていく。
『やったな駿! 昔の終夜運転みたいで粋な計らいだ!』
祖父が拍手喝采している。
まあ、たまにはこんなバグもいいか。皆の笑顔を見て、私も少し誇らしい気分になった。

だが、視界の隅に小さく表示された党ドクトリンの追記を読んで、私は血の気が引いた。
《承認された差分に伴う運賃減収分は、署名者(総理)の個人ウォレットから即時引き落として補填します》

私の口座残高が、ものすごい勢いでゼロに向かってカウントダウンを始めていた。乗客が通るたびに、チャリン、チャリンと軽快な音が鳴る。
「やめろ! 通るな! ゲート閉まれ!」
私の絶叫は、泥酔男のMDプレーヤーから漏れ出す90年代のミリオンヒット曲にかき消されていった。