紙詰まりの午後、量子の鍵穴

──平成0x29A年03月28日 13:30

 ピーヒョロロロ、と甲高い音が倉庫に響いた。

 FAX受信だ。またか。

 私は段ボールの山から顔を上げ、受信トレイに目をやった。感熱紙がゆっくり吐き出されている。文字はまだ読めない。紙の端が少しだけ巻いて、湿った空気に触れてたわんだ。

 第22廃棄物処理ブロック、リサイクル選別棟。ここには使われなくなった端末類が毎日トン単位で届く。エッジAI端末。旧型のもの。いまは新しい演算規格に切り替わったせいで、三年前のモデルですら「旧式」になる。私の仕事はそれを開封し、データ残留チェックをし、再利用可能品とレアメタル回収品に仕分けることだ。

「ゆか。紙出てるよ」

 左の耳元で声がした。父さんだ。正確には、父さんの人格が移されたエージェント。

「見えてる」

「いや、お前の死角のほう。奥の二号機」

 振り向くと、確かに倉庫の隅に押しやられた二台目のFAXからも紙が出ていた。二台同時は珍しい。

 手前の一枚を取った。

 差分リクエスト通知。宛先は第22ブロック廃棄物管理課。内容は——「エッジAI端末の廃棄前データ消去手続きについて、電子署名に加え、紙面での三者立会記録を義務化する」。

 アナログ手続きの追加。最近こういうのが増えた。暗号署名だけでは改竄されるリスクがあるから紙を残せ、という趣旨らしい。党ドクトリンのアルゴリズム、もう穴だらけだと暗号解読屋の連中が言っていた。だから物理的な紙で裏を取る。本末転倒だと思うけど、誰もそうは言わない。

「お前、今日これ承認する側だろ」

「え?」

 父さんの声が淡々と続けた。

「十三時三十二分から五分間。第0x7B201内閣ユニット、内閣総理大臣。ゆか。お前」

 手首のPHSが震えた。画面にはi-mode風の通知バナー。『内閣ユニット割当通知:承認待ちリクエスト4件。量子乱数ロックを解除し、閣議画面に遷移してください』。

 量子乱数ロック。毎回、乱数がその場で生成されるから、事前に鍵を解読しておくことができない。党アルゴリズムのほうは解けても、こっちは健在だ。ロック解除には生体と乱数の同期が必要で、私は親指を端末に押し当てた。

 画面が開いた。四件のリクエスト。一件目がさっきのFAXと同じ内容だった。

「父さん、これどう思う」

「紙が増えるとお前の仕事も増えるな」

「そういう話じゃなくて」

「いや、そういう話だよ」

 父さん——本名、渡辺 剛。享年五十一。肝臓がん。生前はこの倉庫の前任者だった。十年前、同じ棚の間を歩いて、同じ段ボールを開けていた人。死んだあともここにいる。声だけで。

 壁には紙のカレンダーが貼ってある。父さんが生きていた頃から使っていたもので、三月のページは猫の写真だ。今日の日付、二十八日のところに赤ペンで丸がしてある。「ゆか誕生日」。父さんの字。

「……覚えてたの」

「俺が書いたんだから覚えてるだろ」

 五分間が過ぎていく。私は四件すべてに目を通した。紙面立会の義務化。承認。フォーマット変更。承認。端末回収頻度の見直し。承認。最後の一件、エッジAI端末のリユース基準緩和。これも承認した。

 画面が閉じた。PHSの通知が消えた。

 FAXの二枚目を取りに行った。こちらは業者からの回収スケジュール表だった。何の変哲もない。

 倉庫に午後の光が差していた。窓の桟に埃が積もっている。段ボールの中のエッジAI端末が、電源の切れた画面をこちらに向けていた。百台あまり、どれも同じ顔をしている。

「父さん」

「ん」

「誕生日って言ってくれないの」

「カレンダーに書いてあるだろ」

 私は少しだけ笑って、次の段ボールを開けた。