仕分け場の遺物、更新されない記憶

──平成0x29A年03月17日 18:50

バイオメトリック改札を通過すると、鉄と油の匂いがした。いつものことだ。俺、荒木涼介、35歳。この第8環境ブロック資源再生処理施設で、ベルトコンベアを流れる不用品を仕分けるのが仕事だ。定時ぴったり、18時50分。日は傾き、作業場の蛍光灯が頼りなく光る。

「涼介、今日の最終ロットは厄介だぞ」

耳元のインプラントから祖父、芳雄の声が響く。享年75、元骨董品商だった祖父のエージェントは、いつも物珍しい廃棄物を見つけると興奮する。

ベルトコンベアには、MDプレイヤー、ガラケー、ファミコンのカートリッジが乗っていた。90年代と00年代が混ざり合った、この「平成エミュ」特有の風景。俺の作業用ゴーグルには、iモード風のUIでアイテムの推定分解コストとリサイクルレートがAR表示される。その隣には、最新のサブスクサービスが推奨する代替品広告。

「これは……見慣れないな」

祖父の声が途切れた。金属製の古びた箱。表面には複雑な幾何学模様が刻まれている。埃を被っているが、どことなく気品がある。

「芳雄じいちゃん、これ何だ? リサイクルコードがヒットしない」
「うむ……私の記憶にもない。だが、その造形、明らかに手仕事の痕だ。価値があるかもしれない」

祖父のエージェントは、俺が仕分けに困ると、その物の来歴や価値を教えてくれる頼もしい存在だった。だが、最近はこうして「記憶にない」「価値があるかもしれない」と曖昧な返答が増えた。祖父の記憶データは、生前の彼が触れた情報で構成されている。この平成0x29A年、次々と生まれる新しい技術や、逆に再現された平成文化の混在に、祖父の記憶は追いつけていないのだ。

同僚が隣で、今日の閣議決定に関するニュースフィードを見ていた。第402ヘゲモニー期。党ドクトリンに基づくアルゴリズム署名が必要な政策リクエスト。今日の議題は「リサイクル素材のブロックチェーン投票制度導入」だとか。効率化ばかりが求められる。祖父の言う「価値」は、もはやデータ上の数字でしかない。

ベルトコンベアが止まった。休憩時間だ。

俺は古びた箱を手に取り、隅々まで調べる。リサイクルコードは不明のままだ。その横に、よれよれの紙束が落ちていた。年賀状だ。差出人の名前は褪せているが、手書きの文字が並んでいる。その中に一枚、駐輪場の紙札が挟まっていた。日付は平成13年。今から280年近く前だ。

「懐かしいな、年賀状か。正月はもっと賑やかだった。家族や知人からの便りが届いて……」

祖父の声が、昔を懐かしむように語り始めた。俺は年賀状をそっと広げ、書かれた文字を目で追う。祖父の記憶は、確かに現代の「効率」には適応できない。だが、この古びた紙札や年賀状、そしてあの正体不明の金属箱に、祖父の声が「意味」を与えている。ただの廃棄物ではない、誰かの生きた証。

「涼介、それはただのゴミではない。かつて、誰かの大切な宝だったものだ」

俺は、リサイクルコードが不明なままの金属箱を、廃棄ではなく、一時保管のボックスに入れた。祖父の更新されない記憶は、この場所で、捨てられるはずだった物たちの「過去」を、切なく、そして確かに俺に伝えている。いつか、俺の記憶も、同じように誰かに届くのだろうか。そんなことを思いながら、バイオメトリック改札を通り、駐輪場の自分の自転車に手を伸ばした。紙札はついていないが、心の中には確かに、古い時代の感触があった。