連絡網の末端で、鳥居が光る

──平成0x29A年01月11日 15:20

俺の端末が震えたのは、避難訓練の最中だった。

「第0x4A2B内閣ユニット、内閣総理大臣に就任しました。残り時間4分58秒」

画面の隅で、iモード風のアイコンがくるくる回っている。俺は市立第三小学校の教頭で、今日は年に一度の「遺伝子ネットワーク連動型避難訓練」の責任者だ。体育館に集まった児童二百名、教職員二十名。全員の位置情報ビーコンが正常に稼働しているか、タブレットで確認する。

「小林先生、AR広告が邪魔で誘導線が見えないって一年生が」

若い担任が駆け寄ってくる。見ると、体育館の床に投影された避難経路の上に、平成エミュの広告——「ポケベルが鳴らなくて」のレンタルビデオ半額キャンペーン——が点滅していた。二〇一〇年代のAR技術と九〇年代のコンテンツが混線している、いつもの光景だ。

「ちょっと待て」

俺は端末を操作して広告をスワイプで消そうとしたが、その瞬間、エージェントの声が耳元で響いた。

『拓也、ちょっと待ちなさい』

母さんだ。享年六十三、脳梗塞で亡くなってもう七年になる。元小学校の養護教諭で、今も俺の仕事を見守ってくれている。

「何? 今忙しいんだけど」

『訓練プロトコルの第三項を見て。遺伝子ネットワークの安定性チェック、必須よ』

言われて気づいた。タブレットの隅に小さな警告が出ている。「皇室遺伝子ネットワーク・微弱エラー検出。要確認」

そんなの初めて見た。俺は訓練を一時中断させ、全員に待機を指示した。

「すみません、システムの確認です。少しだけ待っててください」

児童たちがざわつく。その間に俺は端末を操作し、エラーの詳細を開いた。

——位置情報ビーコンと遺伝子ネットワークの照合不一致。対象:児童三名、教職員一名。

「え?」

俺は思わず声を上げた。遺伝子ネットワークは、国民に薄く広く伝播した皇室遺伝子をもとにした認証システムだ。普段は意識しないが、こういう公的訓練では自動的に照合される。それが、四人も不一致?

『拓也、これ、システムの不具合じゃないわ』

母さんの声が低くなった。

『この四人、全員が同じ町内会よ。学校の連絡網で確認してみなさい』

俺は慌てて、職員室のキャビネットに保管してある紙の連絡網を取りに走った。平成エミュの影響で、うちの学校は未だに手書きの連絡網を使っている。ファイルを開くと、確かに四人は同じ「旧神社町二丁目」に住んでいた。

その時、端末に閣議案件の通知が来た。

「え、これ俺が決めるの?」

——案件:遺伝子ネットワーク・局所的再構築の緊急承認。対象エリア:旧神社町二丁目。理由:神域管理システムの老朽化による遺伝子伝播経路の遮断。

要するに、あの地域の神社のシステムが古すぎて、遺伝子ネットワークが途切れているらしい。俺は残り時間を見た。あと二分。

『拓也、承認しなさい。この子たちに罪はないわ』

母さんの声が優しかった。俺は震える指で「承認」ボタンを押した。

瞬間、体育館の窓の外で、遠くの神社の鳥居がぼんやりと光った気がした。位置情報ビーコンが一斉に再接続される音が、端末から小さく鳴る。

「……エラー解消」

俺はタブレットを見た。四人の名前が、ちゃんと緑色に変わっている。

訓練を再開しようとした時、若い担任がまた駆け寄ってきた。

「小林先生、さっきの子たち、『急に体が軽くなった』って言ってます」

「は?」

俺が振り返ると、四人の児童が不思議そうに自分の手のひらを見つめていた。一人が小さく呟く。

「なんか、天皇陛下とつながった気がする……」

母さんが、耳元でくすくす笑った。

『あなた、五分間だけ日本を変えたのよ。偉いわね』

俺の任期終了まで、あと四十秒。体育館の床では、AR広告が「MDプレーヤー・サブスク対応モデル」のキャンペーンに切り替わっていた。