現像袋のなかの避難経路
──平成0x29A年 日時不明
【地域防災訓練チャットルーム|第七区画・東棟】
──参加者:野口遥(のぐち・はるか)、野口義信エージェント(父・故人)、他──
野口遥:
到着しました。体育館、暑い。扇風機三台しか回ってない。
父(エージェント):
昔はもっと暑かったぞ。体育館に冷房なんかなかった。
野口遥:
今もないよ。
父(エージェント):
……そうか。
野口遥:
受付でフロッピーディスク渡された。青い。
父(エージェント):
3.5インチか?
野口遥:
うん。「避難者登録メディアです、エッジAI端末のBスロットに挿入してください」って。
端末のほうは手のひらサイズで、画面がぬるぬる動くのに、読み込みのときだけガッガッガッて音がする。
気持ち悪い組み合わせ。
父(エージェント):
磁気メディアは保存性がいいんだ。
野口遥:
嘘でしょ。
父(エージェント):
……まあ、半分嘘だ。
野口遥:
隣の班の人、写真の現像袋をカバンから出して、中にデジタル円ウォレットのカード入れてた。
「現像袋がちょうどいいサイズなんですよ」って。遮光性がセキュリティにいいとか言ってたけど、本当かな。
父(エージェント):
遮光とスキミング防止は別の話だが、まあ、気持ちはわかる。
野口遥:
父さんも財布にお守り入れてたもんね。
父(エージェント):
効いてたぞ。
野口遥:
効いてない。四十七で死んだじゃん。
父(エージェント):
……それは、まあ。
野口遥:
ごめん。
父(エージェント):
いい。
野口遥:
あ、訓練始まる。エッジAI端末に「模擬震度6弱」って出た。全員しゃがんで。
父(エージェント):
頭を守れ。
野口遥:
やってる。
野口遥:
……変なの出た。
端末の画面に「遺伝子ネットワーク:微細偏差検出」って。
私の登録データ、避難者照合で引っかかったみたい。
「皇統マーカー第14鎖・応答遅延0.003秒」。
父(エージェント):
それは……訓練の想定項目か?
野口遥:
違うと思う。本物のアラートっぽい。周りの人は出てない。
係の人が来た。「あー、たまに出るんですよね」って。
父(エージェント):
たまに出る、で済ませるのか。
野口遥:
済ませてる。「再照合しますね」ってフロッピー抜いて、別の端末に差し替えて、もう一回ガッガッガッ。
野口遥:
消えた。「正常範囲です」だって。
父(エージェント):
0.003秒の遅延は正常範囲なのか。
野口遥:
わかんない。でも係の人、すごく慣れた手つきだった。毎回誰かしら引っかかるんだと思う。
父(エージェント):
ネットワーク自体が古くなってるんだろう。遺伝子が広がりすぎて、ノードの応答が追いつかない。
野口遥:
それって大丈夫なの。
父(エージェント):
大丈夫じゃないが、誰も困っていない。
野口遥:
訓練終わった。「災害時伝言ダイヤルの使い方」のプリントもらった。171にかけろって。
父(エージェント):
お前、固定電話持ってないだろう。
野口遥:
持ってない。
父(エージェント):
じゃあ意味ないな。
野口遥:
うん。でもプリントはもらった。
野口遥:
帰る。フロッピーは「記念にどうぞ」だって。
カバンに入れた。現像袋の人が「それ、いい色ですね」って言ってくれた。
父さん、私の遺伝子、ちょっとだけ遅いらしいよ。0.003秒。
父(エージェント):
お前は昔から朝も遅かった。
野口遥:
そういう話じゃないんだけど。
まあいいか。
父(エージェント):
まあいい。帰り道、気をつけろ。
野口遥:
うん。