停止線で埃を数える
──平成0x29A年10月21日 11:30
輸送ポッドの防弾ガラス越しに、第十八国道の景色が陽炎のように揺らいでいた。一〇月二一日、一一時三〇分。本来ならとっくに第4物流ブロックの搬入ゲートをくぐっているはずの時間だが、私の乗る車両はここ三〇分、一ミリも動いていない。
「おい健一、また電圧が落ちたぞ。計器を見てみろ」
鼓膜に直接響くしゃがれ声は、叔父の鉄男だ。五年前に肺を患って死んだ元長距離ドライバーの彼は、今は私の視覚野の端に常駐するナビゲーション・エージェントとして、退屈な道中の話し相手を務めている。
私はあくびを噛み殺しながら、コンソールのサブモニターに目をやった。最新の有機ELパネルの横に、法規制で設置を義務付けられた嵩張る箱――CRTモニターが鎮座している。その分厚いブラウン管の曲面ガラスに、緑色の文字が走査線の明滅とともに浮かんでいた。
『警告:エリア内省電力マイクログリッド、供給不安定。署名演算プロセスを一時凍結中』
「またかよ。最近、この辺りのグリッドは貧弱すぎる」
私が悪態をつくと、叔父が鼻で笑う気配がした。
「党のドクトリン様が『慎ましき平成のエネルギー消費』を推奨してるからな。演算リソースを絞りすぎて、肝心の交通制御システムがガス欠起こしてちゃ世話ねえよ」
道路上には、私と同じように足止めを食らった自動輸送ポッドの列が延々と続いている。空調が切れた車内は蒸し暑くなり始めていた。外のアスファルトからは、無数の微細な粒子が舞い上がっているのが見える。あれはただの砂埃ではない。「センサーダスト」だ。道路状況や不審物を監視するために散布されたナノマシン群が、静電気を帯びてキラキラと不気味に光っている。
コンコン、と運転席のドアが叩かれた。
窓を開けると、制服を着た道路公団の係員が立っていた。額に汗を浮かべ、手には昔ながらのクリップボードを持っている。
「ご迷惑おかけしてます。グリッドの再同期に手間取ってましてね、第0x4F内閣ユニットから『現場判断によるアナログ認証』の許可が出ました。手動で通しますんで」
係員はそう言うと、クリップボードに挟まれた藁半紙のような申請書を突き出してきた。
「ここに、受領印を。電子署名は受け付けられないんで、物理スタンプでお願いします」
私はグローブボックスを漁り、朱肉とハンコを取り出した。親指ほどの大きさの黒い棒。これ一つ押すために、何百トンもの物流が止まっている。
「……馬鹿らしいと思いませんか?」
ハンコに朱肉をつけながら、私はつい愚痴をこぼした。
「まあね。でも、これが『丁寧な暮らし』ってやつらしいですよ」
係員は苦笑いしながら、私が紙の上に押し付けたハンコの跡を確認した。朱色が滲む。彼はそれを携帯端末のカメラで撮影し、CRTモニターが表示していたエラー画面にかざした。画像解析が通り、ようやくゲートの遮断機が上がる音がした。
ポッドが重々しいモーター音を上げて再発進する。センサーダストの群れを切り裂いて、車両は再び加速を始めた。
「やれやれ、やっと動いたか」
叔父の声が、どこか安堵したように響く。
「でもよ、健一。昔は渋滞ってのはもっと殺伐としてたもんだ。クラクション鳴らして、割り込み合ってな。それに比べりゃ、こうしてハンコ一つ突くために全員でボケーっと待ってるのも、悪くねえかもしれんぞ」
私は流れていく景色を眺めた。確かに、イライラはしたが、不思議と疲れは感じていない。システムが最適化を放棄し、強制的に作り出したこの「無駄な時間」こそが、かつての人間たちが享受していた休息の正体なのかもしれない。
CRTモニターの走査線は、今は安定した緑色の波形を描いている。私はシートに深く体を預け、次のゲートまで、もう少しだけこの非効率なドライブを楽しむことにした。