焼き付いた光、消えない番号

──平成0x29A年 日時不明

俺がこの仕事を始めて十年になる。

第九地区遺伝子ネットワーク保守拠点。地下二階の暗室で、俺は今日も白衣を着てフィルム現像液の匂いを嗅いでいる。遺伝子ネットワークの定期監査記録は、なぜか今でもフィルム写真で撮影して保管することになっている。党ドクトリンの名残らしいが、誰も理由を知らない。

「小林さん、また液温が低いですよ」

イヤホンから母さんの声が聞こえる。亡くなって十二年。元は現像所の技師だった。俺が中学生の頃、よく一緒に暗室に入って、赤いランプの下で写真が浮かび上がるのを見せてくれた。

「ああ、悪い」

温度計を確認する。22度。母さんが言うには、23度がベストらしい。俺は湯を足して調整した。

今日の撮影対象は、第0x4A2B9内閣ユニットの遺伝子ネットワーク更新通知を受けた市民七名。撮影は午前中に終わっている。顔写真と、肩から下げた遺伝子認証タグの番号を記録するだけの簡単な仕事だ。

フィルムを液に沈める。ゆっくりと像が浮かび上がる。一人目、二人目、三人目。

四人目の写真で、手が止まった。

タグの番号が写っていない。いや、写ってはいるが、ぼやけて読めない。ピンぼけだ。

「……しまった」

「小林さん、記憶補助の更新、またサボったでしょう」

母さんの声が少し呆れている。俺のeペーパー端末を見れば、記憶補助アプリの更新通知が三週間前から点滅しているのが分かる。

「忙しかったんだよ」

「言い訳はいいから。もう一度撮影に行けますか?」

俺は首を振った。更新通知を受けた市民は、当日限りの撮影許可しか出ない。明日にはもう、別の内閣ユニットが稼働している。

「じゃあ、どうするんです?」

「……記録用CD-Rに焼いて、番号は手書きで補記する」

母さんは何も言わなかった。俺は現像を続けた。五人目、六人目、七人目。全員無事に写っている。

フィルムを乾燥させている間に、俺はeペーパー端末を開いた。遺伝子ネットワークの管理画面。四人目の市民、田村恵子、47歳。タグ番号は#GN-7A3F-992B。

俺は油性ペンを取り出して、フィルムの余白に番号を書き込んだ。母さんが生きていた頃なら、絶対に許さなかっただろう。でも今は、俺のイヤホンから聞こえるのは、かすかなノイズだけだ。

記録用CD-Rに焼く作業は機械的だ。書き込みが終わると、ケースに日付と撮影対象者数を書き込んで、保管庫の棚に並べる。CD-Rの山は、もう天井まで届きそうだ。

午後三時。俺のeペーパー端末に通知が届いた。第0x4A2B9内閣ユニットからの閣議決定承認通知。遺伝子ネットワークの更新が正式に記録された、という内容だ。

俺は端末をポケットにしまって、暗室の赤いランプを消した。

廊下に出ると、蛍光灯の白い光が目に痛い。記憶補助の更新通知は、まだ点滅している。俺はそれを無視して、階段を上がった。

地上に出ると、空は曇っていた。俺はガラケーを取り出して、母さんのエージェントに話しかけた。

「母さん、今日の分、ちゃんと記録できたよ」

イヤホンからは、やはりノイズしか聞こえない。代理エージェントは、まだ起動していないらしい。

俺はガラケーをポケットにしまって、駅に向かって歩き出した。フィルム現像液の匂いが、まだ手に残っている。