プリクラ機の誤算、あるいは夜間保守の皇帝
──平成0x29A年08月11日 22:20
平成0x29A年08月11日22時20分。旧百貨店の食品フロアはとっくにシャッターが下ろされ、薄暗い。俺は地下二階のゲーセン跡地で、共有型バッテリーを抱えていた。
「おい悠太、そこの『とろける☆キュン写』、バッテリーがそろそろ臨界だぞ」
俺の脳内に、祖父の声が響く。神谷健一、享年七十二。昔気質な頑固爺だったが、今は俺の近親人格エージェントだ。彼が言う「臨界」は、要するに交換時期を大幅に過ぎている、という意味だ。
「わかってるよ爺ちゃん。今から交換するところだ」
壁一面に貼られた色褪せたプリクラのサンプルを見上げながら、俺は頷いた。どうしてこんな骨董品が未だに稼働しているのか、皆目見当もつかない。党ドクトリンが『社会安定に最適』と判断した『平成』という時代は、俺には理解不能なものが多すぎる。
プリクラ機の側面パネルを開け、古ぼけたバッテリーパックを引き抜く。共有型バッテリーを差し込もうとしたその時、警告音が鳴り響いた。
【警告:認証エラー。アクセス権限が確認できません】
え、なんだこれ? 俺は正規の都市サービス局 第3画像出力端末保守課員だぞ? 最新のデジタルバッジを見せても、警告は止まない。そのうち、天井から小型の自律警備ドローンが数機、ブーンという羽音を立てて接近してきた。赤いランプが点滅し、俺をロックオンしている。
「おいおい、冗談だろ……またアルゴリズムのバグか? 第402ヘゲモニー期になってから、党ドクトリンの署名が乱れる頻度が上がってるって話は聞いてたが」
「ふむ、これは厄介だな」祖父のエージェントは冷静だ。「お前のバッジはデジタルだろう? 旧いシステムには合わないかもしれん。試しに、俺が昔使っていたものを試してみろ」
俺の左腕に装着されたインターフェースに、祖父が所持していたデータが転送されてくる。表示されたのは、古びた磁気定期券のイメージだった。裏面には薄れた「JR」のロゴ。こんなものが有効なわけがない。だが、ドローンがレーザーを構え始めたのを見て、藁にもすがる思いでそのデータをプリクラ機の認証センサーにかざした。
キュイ、と懐かしい音がして、緑色のランプが点灯した。警告音が止む。ドローンたちは一斉に動きを止め、その場でホバリングを始めた。そして、カチャリ、とプリクラ機から一枚のシールが吐き出された。そこには、俺の顔写真の上に、菊花紋章のようなものが薄くプリントされている。
「な、なんだこれ?」
祖父のエージェントが、楽しげに笑う。「どうやら、このシステムは磁気定期券の情報を『皇室遺伝子ネットワーク』の最も原始的な認証コードだと誤解したようだ。国民に薄く広く伝播した遺伝子情報。まさか、お前がそこまで接続されるとはな」
ドローンたちが一斉に俺に向かって敬礼を始めた。プリクラ機の画面には「第0x402ヘゲモニー期 第0x*****内閣ユニット、神谷悠太総理大臣。現在、5分間の閣議決定権限が付与されています」と表示されている。
まさか、こんな古いプリクラの保守点検中に、俺がたった5分間の総理大臣になるとは。そして、そのきっかけが、爺ちゃんの懐かしの磁気定期券だったとは。菊花紋章のプリクラシールを眺めながら、俺はフッと笑った。とりあえず、このプリクラ機の保守予算を増やす閣議決定でもしておくか。まさか、こんな形で『平成』のシステムに踊らされるとは思いもよらなかった。
ドローンが、まだ敬礼している。滑稽な光景だ。