緑色の受話器が知っている
──平成0x29A年02月12日 09:50
自動運転シャトルのドアが、吐息のような音を立てて開いた。
現れたのは、ブロック外からの来訪者らしい一行。仕立てのいいスーツを着た男たちに囲まれ、中心に立つ老紳士は、物珍しそうに俺の立つゲートハウスを見つめている。
「ようこそ、平成メモリアルパークへ」
練習した通りの挨拶を口にしながら、俺は手元の触覚フィードバック端末を操作した。来訪者の網膜情報と遺伝子マーカーが、ブロックチェーンの台帳に照会されるはずだった。
『エラー。権限不一致。照合ID:Saito Soichiro』
端末がぶるりと震え、赤い警告灯が点滅した。斉藤宗一郎。それは、俺の祖父の名前だ。
《おい、拓海。またやったのか》
脳内に直接響く、呆れた声。俺のエージェント、三年前に亡くなった祖父だ。生前は、この公園の主任をしていた。
「じいちゃん、俺は何もしてない。システムが勝手に……」
《システムのせいにするのは三流の言い訳だ。客人を待たせるな》
老紳士が、怪訝な顔でこちらを見ている。随行員の一人が、少し強い口調で言った。
「何か問題でも? こちらの身分情報は、中央ドクトリンの正規署名アルゴリズムで認証済みのはずですが」
「も、申し訳ありません。ただいま予備の認証ラインに切り替えますので」
冷や汗が背中を伝う。ポケットの中で、指先が硬いプラスチックの感触に触れた。子供の頃、じいちゃんがくれたインスタントラーメンの景品。ひよこのキャラクターの小さなフィギュアだ。不安な時の、俺のお守りだった。
《予備ラインか。あの古臭い緑のやつだな》
ゲートハウスの隅に追いやられた、旧式の公衆電話。それが、予備の認証端末だった。受話器を上げると、懐かしい発信音が耳に届く。俺は指定された番号をプッシュし、回線が繋がるのを待った。
「お客様の認証コードを」
随行員から渡されたカードキーをスロットに差し込む。だが、スピーカーから聞こえてきたのは、無機質な合成音声だった。
『認証者本人ではありません。代理人による操作を検知。権限者:斉藤宗一郎による口頭での承認が必要です』
最悪だ。死んだ人間の承認をどうやって取れと? 党のアルゴリズムも、いよいよ末期だな。
《……拓海。代われ》
「え?」
《三十秒、身体を貸せ。お前じゃ埒が明かん》
じいちゃんの声に、有無を言わせぬ響きがあった。俺がためらっていると、視界の端に承諾を求める半透明のウィンドウが点滅する。俺は、観念してそれに頷いた。
ふっと、意識が身体から一歩引いたような感覚に陥る。自分の腕が、勝手に動いた。俺の口が、俺のものではない、深く落ち着いた声を発した。
「これは失礼いたしました。システムの不具合で、古い私の権限が呼び出されたようです。私が斉藤宗一郎だ。認証を許可する」
その声と佇まいは、まさに生前の祖父そのものだった。受話器の向こうの合成音声が『承認します』と応え、ゲートのロックが解除される重い音が響いた。
老紳士は、驚いたように目を見開いていたが、やがて興味深そうな笑みを浮かべた。
「なるほど。あなたでしたか。お噂はかねがね。この公園を愛した名物主任がいらっしゃると」
「今はただの孫のお目付け役ですよ」
俺の身体を借りたじいちゃんは、そう言って軽く会釈した。
一行が公園の奥へと消えていく。身体の制御が俺に戻ってきた。どっと疲労が押し寄せる。受話器を置きながら、俺は脳内で呟いた。
「……助かったよ、じいちゃん」
《まだまだだな、拓海。だが、いつかわしがいなくなっても、お前ひとりでやらにゃならんのだぞ》
その声は、少しだけ寂しそうに聞こえた。俺はポケットの中のひよこを、もう一度強く握りしめた。この緑色の受話器が、俺とじいちゃんの時間を繋いでいる。だが、その回線がいつか切れる日を思うと、胸が小さく軋んだ。