夜明け前の領収書

──平成0x29A年03月30日 02:00

重機の操縦桿を握る手に、ずしりとした触覚フィードバックが伝わる。掴み上げたコンテナは、規定重量をわずかに超えている。ARグラスの隅に表示される警告を、俺はいつものように無視した。

「譲、第0x88F内閣ユニットが定めた積載上限の逸脱を検知。ドクトリン違反のリスク、3.4%」

耳元のインカムから、親父の声が響く。生きていた頃と同じ、少し心配性の声色だ。いや、エージェントになってからは、ただデータを読み上げているだけか。

「わかってるよ、親父」

俺は小さく呟き、巨大なアームをゆっくりと旋回させる。眼下に広がるのは、旧湾岸エリアの最終集積場。巨大なクレーターのような穴がいくつも口を開け、仕分けられた廃棄物を飲み込んでいく。時刻は午前二時。空気に混じる消毒剤の匂いと、舞い上がるセンサーダストのきらめきだけが、この世界のすべてだった。

ポケットの中で、旧式の折りたたみ携帯が震えた。画面のバックライトが顔を照らす。親方からだ。

パカ、と音を立てて開く。
『例のブツ、第7ピットだ。わかってるな』
「へい」

短い通話。それだけで十分だった。ARグラスの公式マップでは、俺が掴んでいるコンテナの行き先は第3焼却炉になっている。だが、親方の指示は第7ピット。公式ルートから外れた、薄暗い廃棄口だ。

「ルート逸脱。廃棄物処理法第19条に抵触。親方からの指示は、非公式のローカル・プロトコルと判断される」

親父の声は淡々としている。この警告にも、もう慣れた。俺はこの職場で生まれ、親父が死んでからは、その後を継いでいる。ドクトリンよりも、親方の指示が優先されるのが、ここのルールだった。

操縦桿を傾け、アームを第7ピットへ向ける。センサーダストがコンテナの表面を撫で、成分分析の結果を俺の視界に明滅させた。『有機物65%、未識別金属12%、その他……』。どうせ、党の偉いさんか、その周辺の連中が隠したいゴミだろう。

ゴトッ、という鈍い振動が触覚フィードバック端末を通じて腕に伝わった。コンテナがピットの闇に消える。すぐに別の重機がやってきて、上から大量の土砂を被せていく。これで今夜の「特別業務」は終わりだ。

操縦席から降りると、親方が待っていた。分厚い指で数枚の紙幣を差し出し、ボールペンと一枚の紙を渡してくる。

「ご苦労。ここにサインしろ」

手書きの領収書だった。宛名は空白。但し書きには『センサーダスト補充作業費』とある。俺は何も言わず、自分の名前を書き込んだ。インクが紙に染みる感触が、妙に生々しい。

「記録、完了。金銭の授受を確認。事由コード29A-402。非公式取引としてアーカイブ」

親父の声が、背後で静かに告げた。見上げると、第7ピットから舞い上がったセンサーダストが、サーチライトの光を浴びて銀河のように輝いていた。システムはすべてを見ている。だが、何も変えようとはしない。

俺は受け取った紙幣を無造作に作業着のポケットにねじ込んだ。夜明けは、まだ遠い。