朝の光の中で鍵束を鳴らす

──平成0x29A年05月14日 08:20

 押し入れを改造したサーバーラックから、乾いた排気音が漏れている。時刻は八時二十分。モニターの隅には「平成0x29A年5月14日」の文字列が躍り、その下でグラフが緩やかに上昇していた。俺が提供している「時間貸しCPU」の処理能力が、どこかの内閣ユニットの末端演算に使われている証拠だ。今朝のレートなら、コンビニ弁当二つ分くらいのクレジットにはなるだろう。

「サトシ、ゴミ出し。今日こそ燃えないゴミの日だよ」

 視界の端にポップアップした姉貴が、腰に手を当てて言った。姉貴のエージェントは死んだ当時の四十代の姿のままだが、口うるささは生前より増している気がする。
「分かってるよ。分別も済んでる」
 俺は白い半透明の袋を掴み、ポケットから白い長方形のデバイスを取り出した。表面に傷がついたiPod Classic。骨董品屋で高値で買った純正品だ。親指でクリックホイールをくるくると回し、カチカチという触感を楽しむ。再生ボタンを押すと、有線イヤホンから三百年以上前のロックバンドの曲が流れ出した。

 玄関を出て、外廊下を歩く。腰にぶら下げた「家の鍵の束」が、歩調に合わせてジャラジャラと鳴る。この集合住宅「ハイツ・ニュー練馬」では、古き良き自治会制度が生きていて、俺は今期、不運にも副理事長を押し付けられていた。共用部の鍵やら倉庫の鍵やら、やたらと重い金属の束を持ち歩かなければならない。
 ゴミ集積所に向かう途中、頭上から低い羽音が降ってきた。

 見上げると、黒い機体がホバリングしている。ドローン配達だ。機体には大手物流チェーンのロゴ。それがエントランスの庇の下で、右往左往するように揺れていた。
「あら、あれウチのマンション宛てじゃない?」
 姉貴が空を指差す。俺はイヤホンを片耳だけ外した。
 ドローンは高度を下げ、備え付けの宅配ボックスの前で停止した。だが、荷物を投函しようとして、アームが空回りしている。

「……そうか、あそこ、昨日の雨で蝶番が渋くなってたんだ」
 俺は呟いた。このマンションの宅配ボックスは、党ドクトリンが推奨する「平成中期の標準仕様」に準拠した物理錠式だ。デジタル認証ではなく、物理的なダイヤルとプッシュボタン、そして金属の扉で構成されている。最新鋭の自律制御ドローンといえど、錆びついた金属の扉をこじ開ける「コツ」までは学習していないらしい。
 ドローンのステータスランプが、困惑を示す黄色に点滅している。このままでは持ち帰り処理になり、受取人には再配達の連絡という面倒なタスクが発生するだろう。

「手伝ってやりなさいよ。どうせヒマなんだから」
「ヒマじゃない。演算中は待機時間なだけだ」
 言い返しながらも、俺はドローンに近づいた。センサーが俺を検知し、機体がわずかに後退する。
「いいから、そこどいてろ」
 俺は腰の鍵束を探り、管理用のマスターキーを選び出した。鍵穴に差し込むが、やはり固い。鍵を小刻みに揺らしながら、じわりと力を込める。ガチリ、と重い音がしてロックが外れた。
 手で扉を押し開けてやり、ドローンに向かって顎をしゃくる。

 ドローンは一瞬静止した後、ウィーンとモーターを唸らせてボックス内に滑り込み、抱えていた小包を慎重に置いた。扉を閉めると、機体は空中で一度お辞儀をするように傾き、プロペラ音を残して空へと帰っていった。

「あんたにしては良いことしたじゃない」
「うるさいな。不在票が入ると、掲示板が散らかるんだよ」
 俺は再びイヤホンを耳に戻し、クリックホイールを回してボリュームを上げた。錆びついた日常と、最新のアルゴリズムが混在するこの世界では、時々こうして人間が潤滑油になってやる必要がある。
 朝の日差しの中、iPodから流れるギターの歪んだ音が、遠ざかるドローンの羽音と重なって消えた。