紙の折り目、港の待合室

──平成0x29A年09月24日 10:20

港の観光案内所は、いつも午前中が静かだ。

私は受付カウンターの後ろで、スマート家電のカタログをめくっていた。最新型の自動調理器が載っている。平成エミュの影響で、このブロックでは未だに紙のカタログが配布される。QRコードとiモード風のURLが併記されているのが、妙に懐かしくて新しい。

「すみません」

顔を上げると、観光客らしい中年の男性が立っていた。手には紙の地図を持っている。折り目が何度もついた、使い込まれた地図だ。

「第7史跡地区への行き方を教えていただけますか」

「はい。バス停は外を出て右手です。15分おきに出ていますよ」

そう答えながら、私は自分の端末で経路を確認する。男性は礼を言って地図を畳み直した。その動作が丁寧で、少し時間がかかる。

『恒一、あの人、ナノ医療パッチ貼ってるわよ』

母のエージェントが囁く。見ると、男性の首筋に小さな透明パッチが光っていた。循環器系の補助タイプだろう。

「ありがとうございました」

男性が去った後、カウンターに一通の封筒が置かれていることに気づいた。年賀状だ。宛先は「第18観光ブロック案内所御中」。差出人の住所は見慣れない表記だった。

『あら、懐かしい形式ね』

母が言う。私は封筒を開けた。中には手書きの礼状と、古い写真が入っていた。三十年前、この案内所で働いていた職員への感謝が綴られている。

「システムに登録しないと」

私は端末を開き、受領記録の登録を試みた。だが、エラーが出る。暗号化手続きの不一致。年賀状という物品カテゴリが、現行の物流管理ドクトリンに存在しないらしい。

『無理に通さなくていいんじゃない?』

母の声は穏やかだった。

「でも、記録は必要だから」

私は代替カテゴリを探した。「紙媒体・未分類」という項目に辿り着く。これなら通るかもしれない。入力を進めると、突然、端末が別の画面に切り替わった。

『第0x4A2F1内閣ユニット・内閣総理大臣任命通知』

また来た。五分間だけの総理大臣だ。閣議リクエストが三件、画面に並んでいる。一つ目は港湾設備の照明更新。二つ目は観光案内標識の多言語化。三つ目は――年賀状受領手続きの例外承認申請。

私が今、登録しようとしていた内容だった。

『不思議なタイミングね』

母が笑う。私は三つとも承認ボタンを押した。党ドクトリンのアルゴリズム署名は、もう形骸化している。誰もが知っている。

五分が過ぎ、通常画面に戻る。年賀状の登録は完了していた。カテゴリは「紙媒体・未分類・例外承認済」。

私は年賀状を棚の奥にしまった。写真の中で笑っている職員は、もうこの案内所にはいない。

カウンターの向こうで、また誰かが地図を広げている。