電波の切れ目、紙札の伝言

──平成0x29A年08月16日 22:50

平成0x29A年08月16日、午後10時50分。俺の部屋は熱気に包まれていた。
「クソッ、またかよ……」
スマートエアコンの液晶パネルには、無機質なエラーコード「E-0x402D」が点滅している。リモコンを握る手から汗が滲んだ。

「裕太、こんなエラーコード、昔の家電にはなかったな。まずは物理的な確認だろ?」
父のエージェント、康夫の声が耳元で響く。享年62。元家電量販店の修理担当だった父なら、こんなトラブルも瞬時に解決してくれただろうに。

俺は仕方なく立ち上がり、エアコンのフィルターをチェックし、ブレーカーも確認した。異常なし。アプリから再起動を試みるが、改善しない。室温はすでに29度を超えている。

分散SNSの「第3居住ブロック民の集い」チャンネルを開くと、同じような投稿が溢れていた。「うちのスマート冷蔵庫も止まった!」「給湯器がエラー吐いてるんだけど!」「内閣ユニットにリクエスト送っても既読スルー……」

「おい、裕太。本当に電気が来てるのか?」康夫エージェントが不審そうに言う。「スマート家電の電力メーターもエラー表示だろ? だが、他の照明はついてる。これは部分的な電力供給の不整合だな」

部分的な不整合? そんなことあり得るのか。俺は苛立ちながら、スマホを握りしめ、ベランダに出た。夜風は熱い。ふと、マンションの駐輪場に目をやると、見慣れない紙札が貼られているのが見えた。普段は駐輪許可証くらいしか見かけないのに。

紙札には「電気設備点検のお知らせ」とあり、その下に手書きでこう追記されていた。「万が一の際は、共用部のテレホンカード式電話をご利用ください」。

テレホンカード? 平成0x29A年にもなって、テレホンカード? 俺は思わず二度見した。共用部にそんなレトロなものがまだあったのか。そして、なぜ内閣ユニットへのリクエストではなく、アナログな電話を推奨している?

「裕太、そのテレホンカード、どこで手に入れるんだ? 昔は駅の売店で売ってたもんだがな」康夫エージェントが呆れたように問いかける。俺も知る由もない。まさか、あの昭和レトロなアイテムが、こんな形で必要とされる日が来るとは。

諦めて部屋に戻ろうとドアノブに手をかけたその時、部屋の中から「プシューッ」という音が聞こえた。エアコンだ。再び動き出したらしい。室温を示すディスプレイも正常値に戻っている。慌ててアプリを確認するが、まだエラー表示のままだ。

「なんだこれ……」

分散SNSに「エアコン動いた人いますか?」と投稿すると、すぐに返信が来た。
「うちも! 外を見たら、管理人が懐中電灯持って共用部のブレーカーいじってたよ。駐輪場の紙札の追記、見た? テレホンカードのメッセージ、あれ、内閣ユニットからのドクトリン署名不整合で、緊急連絡が直接できないための裏技だってさ。党のアルゴリズムが、インフラの微細なエラーを『社会安定に最適』って判断しちゃって、自動承認できないかららしいよ。管理人が勝手にオフラインで復旧させてるんだって」

俺はスマホを握りしめたまま、そのメッセージを数回読み返した。最新のスマート家電が、党ドクトリンの不整合という深遠な理由で故障し、その解決策が、管理人が深夜に懐中電灯片手にブレーカーをいじるという原始的な方法。そして、その伝達手段が、誰も使わないテレホンカード式の電話と、手書きの紙札。あまりにも滑稽で、俺は熱気のこもった部屋で、乾いた笑いを漏らした。

康夫エージェントが、「アナログは強いな」と呟いた。その言葉が、やけに重く響いた。