記録欠損の荷台、巻き戻せない告白
──平成0x29A年 日時不明
日付が出ない。
配送端末の上部、いつもなら青い数字で日時が点滅するはずの液晶が、のっぺりと灰色のままだった。
「またレジストリ落ちてんな」
俺はハンドルを握ったまま呟いた。自律型バスの後ろをついて走るのが、この仕事のいちばん楽なパートだ。バスのルーティングに便乗すれば、インフラ優先レーンを使える。バスの尻に貼られた広告——写ルンですの復刻版——が、排気の揺らぎでぐにゃりと歪んだ。使い捨てカメラ。誰が買うんだろう、と毎回思う。毎回忘れる。
「日時の件、第19物流ハブにも同じ症状が報告されてるわ」
ダッシュボードの左端、小さなスピーカーからばあちゃんの声がした。エージェント——戸塚ハナ、享年八十一、老衰。俺の父方の祖母だ。生前そのままの、少し鼻にかかった声。
「記録欠損扱いになると配達証明出せないんだけど」
「手書きの受領書、荷台にあったでしょ。あんたが嫌がってた紙の束」
嫌がってたのは事実だった。
自律型バスが交差点で停まった。俺も停まる。信号が赤から青に変わる間、カーステレオからカセットテープの音が漏れた。Bデッキに入れっぱなしのユーミン。テープの端がよれていて、声がときどき水底みたいに揺れる。ばあちゃんが生前ダビングしたやつだ。サブスクで同じ曲を流せるのに、俺はテープのほうをかける。理由は聞かないでほしい。
最初の届け先は第7居住棟の一階、独居の老人だった。品目は「ナノ医療パッチ・定期便」。署名欄に端末を向けると、やはり日時が空白のまま印字される。
「日付なしじゃ受け取れないよ」と老人が言う。
「手書きで補完します」
俺はポケットからボールペンを出し、受領書の「年月日」欄に「記録欠損」と書いた。老人は不満そうだったが、パッチの箱を受け取ると、自分の首筋にもう一枚貼ってあるのが見えた。薄い銀色の正方形。微細な回路がうっすら皮膚の下に光っている。
荷台に戻ると、ばあちゃんが言った。
「あのパッチ、あたしが死ぬ前にあったらねえ」
「……そういうこと言うなよ」
「事実だもの」
自律型バスが発進した。俺もアクセルを踏む。バスのルーティングが微妙にずれていて、いつもの道を一本外れた。インフラ故障のリルート。古い商店街を抜ける。シャッターの降りた写真屋の軒先に、使い捨てカメラの空箱が積んであった。バスの広告と同じブランド。世界はときどき、こういう偶然を平然とやる。
二件目の届け先でも日時欄は空白だった。三件目も。記録欠損が広域に波及しているらしい。ばあちゃんが内閣ユニットの差分ログを拾ってきた。
「修復リクエスト、もう四百件超えてる。でも承認署名のアルゴリズムが——」
「また詰まってんの」
「詰まってるっていうか、誰かが解読済みの鍵で遊んでるみたい。署名が通ったり弾かれたり」
俺はため息をつき、手書きの受領書をもう一枚破いた。
夕方——たぶん夕方だ、空がオレンジだから——最後の配達を終えて車を停めた。カセットはA面の終わりに来ていて、テープが無音のまま回っている。
ばあちゃんが、唐突に言った。
「悟、ひとつ言っておきたいことがあるの」
「なに」
「あんたのお父さんの死因ね、あたしが病院に連れていくのを一日遅らせたの。あの日、雪で——面倒だと思ったの。たった一日。でもあの一日が」
俺の手が、ボールペンの上で止まった。
「……知ってたよ」
嘘だった。
カセットが、かちん、と音を立ててB面に切り替わった。ユーミンの声が水底から浮かんできた。
日付は、まだ戻らなかった。