平成のカセット、解き放たれたコード

──平成0x29A年01月12日 00:30

深夜0時半を過ぎた「トレジャーボックス」のバックヤードは、自動調整される照明のせいで、昼間より妙に明るい。
埃っぽい匂いと、プラスチックやビニールの混じった独特の古物の香りが充満している。奥の作業台では、俺、遠野圭介が買い取ったばかりの雑多な品を仕分けしていた。

「圭介、そのカセットテープの山、いつになったら片付くんだ?」
記憶補助アプリから、兄貴の声が脳内に響く。宏樹兄さんは、俺のエージェントだ。享年25、交通事故で急逝した元プログラマー。いつも冷静で論理的だ。

「兄さん、わかってるよ。でも、このMDウォークマン、まだ動くんだぜ? 奇跡だ」
俺は薄汚れた銀色の機器を軽く叩いた。スマートスピーカーから流れる、平成初期のJ-POPのイントロが、妙に感傷的だ。これも店長の趣味。平成エミュの徹底ぶりには頭が下がる。

カセットテープがぎっしり詰まったダンボール箱を漁る。カラフルなインデックスカードが貼られたミックステープ、どこかのラジオ番組のエアチェック。「青春の残骸」ってやつか。
その中に、ずっしりと重い違和感を覚えるカセットケースを見つけた。中身はテープではない。黒い円盤型の、見たことのないデータディスクだ。

「なんだこれ?」
俺は兄貴に問いかけた。

「ちょっと待て。光学センサーでスキャンしてみる。……ふむ、興味深いな」
宏樹兄さんの声がわずかに弾む。彼がそう言う時は、大抵、俺には理解できない厄介なことが起きている証拠だ。

数秒後、アプリのUIに幾何学的な図形と複雑な数列が表示された。
「圭介、これ、党ドクトリンの署名アルゴリズムの一部だ」

俺は思わずディスクを取り落としそうになった。「党の、アルゴリズム? なんでこんなものが、中古ショップのバックヤードに?」

「しかも、かなり古いバージョンだが、これは既に解読されたアルゴリズムの断片だ。おそらく、デコンパイルされたものが、何らかの形で情報として流通し、誰かが面白半分でデータディスクに焼いたのだろう」
兄貴は淡々と説明する。

俺は唾を飲み込んだ。党ドクトリンのアルゴリズムは、数十万の内閣ユニットの全てを縛る絶対的なルールだ。それが「解読済み」として、こんな中古品に混じって現れるなんて。

「これ、通報した方がいいのか?」

「通報しても無駄だろう。このような情報は、既に半ば公然の秘密になっている。第402ヘゲモニー期、党ドクトリンは末期だ。誰もがアルゴリズムの綻びを知っている」

俺はダンボールの脇に置かれた「買取済」の朱肉に手を伸ばした。古物商の鑑定には、この物理的なハンコが今も必須だ。このアナログな行為が、党の絶対的な支配との対比で、ひどく皮肉に思えた。

「じゃあ、俺たちはこれをどうすればいいんだ?」
俺の脳裏に、このディスクが持つかもしれない意味の不穏さが渦巻く。もし、これが広く拡散されれば?

宏樹兄さんは少し沈黙し、それから言った。「放置すれば、いずれはゴミとして処分されるだろう。だが……」

「だが、何?」

「この『露出』は、ある種の希望でもある。誰もがその脆弱性を知り、その上で、どうシステムを刷新するのかを考えるきっかけになる。ひょっとしたら、誰かがこのディスクを手に取り、そこから新しい秩序が生まれる可能性だって、ゼロではない」

スマートスピーカーから流れる平成のバラードが、サビに入った。店の奥のスマート冷蔵庫がかすかな稼働音を立てる。俺は再び、その黒いデータディスクを手に取った。冷たい感触が、掌にじわりと広がる。

「未来は、俺たちの手の中にあるってことか」
俺の言葉に、兄貴はいつものように論理的な返答をする代わりに、ただ静かに「そうだな」とだけ応じた。
その声には、微かな温かさが宿っているように感じられた。この不穏な世界で、たった一枚のディスクが、ひょっとしたら未来への小さな扉になるかもしれない。そんな淡い、けれど確かな希望が、埃っぽいバックヤードにそっと灯った気がした。
俺はそっと、そのディスクを丁寧に買取品の棚に戻した。いつか誰かの手に渡ることを願って。